人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

おうち時間で料理が苦痛に

今週のお題「おうち時間2021」

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NHKまいにちフランス語のテキストのグラビアから。

毎日の三度の食事作りが負担になって

 最近特に感じるのは、いいえ、本当はこれくらい平気と言いたいのですが、やはりご飯つくりが負担になってきました。以前には感じたことのないストレスを感じ始めているのです。作って片付けて、食器を洗って布巾で拭いてしまう、その繰り返しが日に3度もあるのにちょっと嫌気がさしてきたのです。そう思うこと自体、これって自分勝手で我儘なことなのでしょうか。家事に終わりがないことはわかっていますが、なぜか虚しささえ感じてしまう時もあります。そんなときは、世間の人たちは当たり前のこととして受け止めているのだからと自分を慰めるしかありません。かつては自分の仕事、やるべきこととして、何の疑問も抱きませんでした。

 毎日繰り返されるワンパターンのメニューの繰り返しに飽き飽きしたのかもしれません。自分の作る料理の味を何とかしたくてもうまくいかない、かと言って、ちょっと目新しい料理を作ると家族が食べてくれないというジレンマに陥ってしまうのです。友達に嘆いてみても、「みんな同じよ、うちもだいたい決まっているから」と相手にされません。食べることは大好きだし、お腹も減るので料理は必須事項です。お米が大好きなので、パン食では腹持ちが悪くて、私の中ではパンはおやつに分類されています。だから朝はご飯とみそ汁で、おかずはどこの家にでもある定番の卵焼きや納豆や海苔になります。朝からパンという家もありますが、必ず別にサラダとかオムレツとかを食べるようです。

 つまり、日本の家庭では外国に比べると朝食に手間をかけているわけです。外国と言っても、コーヒーとバゲットやクロワッサンで簡単に済ませてしまう人たちのことです。そういう手間のかからない朝ごはんがどういうものなのか、実際に現地に行って見て初めて分かりました。ナイフで切るとゾリゾリと美味しい音がするバゲットも悲しいことに3日で飽きがきました。欲求不満に陥ってしまって、たったこれだけで満足できることがとうてい信じられませんでした。思えば、彼らは生まれたときから「そういうものだ」という習慣が染みついているのです。その点で、お米で育った私たち日本人はすぐに順応できるわけはないのです。外国の朝食は聞こえのいい言葉で言えばシンプルで、一方で和食は豊かとでも言えます。ただ、豊かさは作り手の負担なしには考えられません。

 料理指導者の土井善晴さんは、最近若い人たちから「料理が辛い」とか「料理が嫌いになってしまいそう」などという悲鳴を聞くそうです。それは料理に時間がかかりすぎて、それが負担になってしまうのが原因です。仕事もあるし、いろいろやることもあるので、料理にそう時間をかけてもいられません。疲れている時にでもしなければならない料理は辛いのです。でも食べることは好きだし、ちゃんとした食事もしたいのです。それで、土井さんが提案するのは「一汁一菜」で、本来のおかずは一品というのではなくて、みそ汁の中に「菜」を入れてしまう具だくさんの味噌汁を作るやり方です。和食も伝統にとらわれず、時代とともに変わるべきというのが土井さんの持論だと受け取りました。和食が作り手の負担にならないように工夫を凝らす、そんな指導を心がけているようです。

 私自身は早朝散歩に行くのが楽しみなので、朝の負担はできるだけ減らすようにしています。みそ汁は寝る前に作って置き、おかずは市販のめかぶや卵焼きなどの簡単なもので済ませます。それに前の番のおかずの残りでもあれば美味しく食べられます。やはりお気に入りのお米の炊き立てのご飯は、一日の始まりの支えになってくれるのです。ご飯が美味しいと、一瞬でもささやかな幸せを感じられるからです。欲を言えば、もっとおかずのパターンを充実させることができれば最高なのです。その悩ましい問題は私にとっての永遠の宿題です。ある時、本屋の料理本コーナーに行って見つけたのは『今日はもう料理したくない』というようなタイトルの本でした。気になってパラパラ捲ってみると、載っていたのはまさかの「レタスとベーコン炒めただけ」とか市販の缶詰を使ったレシピ。「こんなんでいいの?!」というのが正直な気持ちでした。これなら、やる気も気合いも必要ありません。適当に緩い気持ちでも何とかなるのだと目から鱗でした。簡単で美味しければ、得した気分にもなれて一挙両得ではありませんか。

 

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