人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

入院中の叔母からのメール

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▲チリのパタゴニアHHKまいにちスペイン語5月号から。

叔母はコロナ下の入院生活に耐えて、家に帰ってきた

 100歳まで生きると信じて疑わなかった叔母が食道がんだと聞かされた時は仰天しました。80歳を過ぎているのに、自分で車を運転し、私なんかよりもスタスタ歩き回るので、いつも高齢者であることを忘れていました。髪の毛も染めて若々しくしているので、自分と同じくらいの年なのだと錯覚していたのです。本当なら高齢者には気を使わなければいけないのに、お構いなしに何時間も平気で連れまわしていました。自分が果たして叔母ぐらいの年齢になったときこんなにも元気でいられるだろうか、と自問自答してみたら、答えは到底無理でした。そんな高齢者のお手本のような生活、つまり「老後は一人で自由に」を実践している叔母に感心し、自分なりに目標にしてきたのです。

 ガン宣告には衝撃を受けましたが、叔母の家族から話を聞いて、今私に何ができるかと考えたら、メールぐらいのものでした。2カ月の予定ですが、想定外のコロナ禍にあっての入院生活です。普通なら暇を持て余し、病院の売店に足げく通うことになるのですが、それもかないません。それこそ行動範囲はベッドのみで、小学生が書いた本の題名の「2平方メートルの世界」に限られます。果たして、高齢者がそんな環境で耐えられるものなのか、いくら頭がしっかりした叔母でも、どうにかなってしまうのではないかとあれこれ想像してしまいました。 

 普段は用事があるときに電話するか、あるいは伝えたいことがあるときは手紙を書いていました。たまにメールを交換するだけでしたが、入院しているとなると話は違います。最初はさぞかし退屈しているだろうと、こちらの世界のニュースをメールしていました。例えば、上野動物園でパンダが2匹も生まれたとか、小池知事が過労で入院したとかいうことです。でも、返って来る返事は「ありがとう」のみで手ごたえがありません。そして、だんだんと読むだけでスルーするようになりました。返事がないと元気かどうかわかりません。ちゃんとした答えが欲しいのに、返してくれないので質問を工夫しないとダメだなと思いました。それで、「ミチクサ先生読んでる?」と日経新聞に連載されている伊集院静さんの小説の話に切り替えたのです。そしたら、「新聞ないから、全く読んでいない」と涙を流している絵文字付きで返ってきました。

 できるだけ答えやすい質問を心がけていると、だんだんと今の状況を教えてくれるようになりました。新聞がないので、文庫本を読んでいて、今は夏目漱石の「道草」を読んでいると返ってきました。でも、そこはとても暗くて文字が読みづらいと嘆いてもいたのです。それでも時を何とかやり過ごさなければならないので、読書に精を出し、やがて「虞美人草」や「小鳥」までも読むようになりました。たしか、俳句をやっていたはずですが、移り変わる景色を眺め、人と付き合う中でのみ感動が生まれるとしたら、病室では無理なのかもしれません。以前「感動がないと俳句は作れない」と言っていたのを思い出しました。でもテレビで話題の俳人は「感動があるから俳句が詠めるのではなく、句を作れば自然と感動が生まれるのだ」なんて、理解不能な発言をするのですが...。

 叔母の一番の関心事だったワクチンのことを話題にすると、すぐに飛びついてきました。やはり当人の興味のあることなら、いくらでもコミュニケーションができるのです。そう思っていたら、先日叔母からメールで「昨日3カ月ぶりに里帰りして、ぐっすり眠りました」の😊マーク付きの文面が!「里帰りってどういうこと?」と一瞬思ったら、そうか、退院したのだとわかりました。「おめでとう、帰ってきたんだね」。本人は3カ月と言っているのですが、実際は2カ月も経っていないはずです。病院に閉じ込められていた時間はきっとそれほど長く感じられたのでしょう。「お盆は地元の有名店でウナギを食べよう」とお誘いがありました。一時は食欲がほとんどなかったのに今では、「食事が美味しい!」と言えるまでになりました。これから先も叔母がガンに負けずに生きてくれることを願わずにはいられません。

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