人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

終の棲家に犬付きの家を買う

今週のお題「人生で一番高い買い物」

一千万の格安の家、でもそれにはある条件が

 知人から聞いた話だが、知人の叔母夫婦が家を買ったエピソードが大変興味深い。叔母の夫は北海道出身で、東京で働いていた時に職場で知人の叔母と知り合って結婚した。働きながら調理師の免許を取得した夫はレストランに転職をして、店舗の上にあるアパートのようなところで新婚生活は始まった。今思えば、屋根裏部屋のようなところで窓は小さくて日辺りも悪かったが、当時は”住めば我が家”だった。部屋は二間あり、トイレは共同で、風呂はなかったがすぐ近くに銭湯があったのでそんなに不便だとはあ感じなかった。それに家賃、電気代、ガス代すべて無料で職場が出してくれていた。レストランのコックという職業は性に合っていたし、たいして不満もなかった。

 夫婦とも働いていたので、経済的には困窮することもなかった。妻の職場が妹が嫁いでいた豆腐屋だったのも好都合で、子供が生まれてからも働き続けていられた。夫は自分を支えてくれる妻に感謝し、自ら進んで家事を手伝った。料理は自分の方が得意だし、要領もいいし速いので夫の担当になった。その代わりに洗濯や掃除などは妻がやるようになった。知人が遊びに行くといつも「私より、この人(夫のこと)の方が上手だから」と叔母は言っていた。当時はまだ女は家にいて、男は外で働くのが当たり前の時代だった。だが、この夫婦の間ではすでに家事の分担が自然とできていた。

 夫は自分たちの生活が普通のことだと信じていたが、それが周りに受け入れられないことも多かった。例えば、夫は毎朝自分の弁当を自ら作っている。夫の弁当は世間では妻が作るのが常識らしいが、自分の家では妻は朝は洗濯や掃除で忙しい。だから手の空いている自分がやるのは当然のことだと思っていた。だが、周りから「奥さんは何もしないのねえ、奥さんが羨ましいわ」などと誤解されることになってしまう。いくら自分の家の事情を説明しようとしても、わかっては貰えない。何を言われても笑って聞き流すしかなさそうだと気付いた。

 共稼ぎを続けていた夫婦にもある日変化が訪れた。その発端となったのは夫が店の常連さんといつものように世間話をしていたら、給料の話になったことだった。その時話をしていた相手は自分と同じくらいの年齢の男性だった。その人が口に出した給料の額が自分の給料の2倍だったことに夫はショックを受けてしまった。実は夫は今まで給料について経営者にとやかく言ったことは一度もなかった。だが、今度ばかりは言わずにはいられなかった。「20年以上も働いてきたのに、給料が安すぎる」「人並みの給料をくれないのなら、店を辞めるぞ」

 経営者に直談判したが、相手にもされなかった。それでどうしたかと言うと、なんと本当に店をスパッと辞めてしまった。「俺は第二の人生をこれからは歩むことにする」と宣言し、知り合いが経営する内装を請け負う会社に転職した。飲食店とは180度違う職業だが、夫は車の免許を取り、次第に仕事にも馴染んでいった。その頃は日当たりのいいアパートの2階に住んでいたが、何年か経つと、いつの間にか娘たちが嫁いで夫婦二人になった。ふと、頭に浮かんだのは終の棲家のこと。そうだ、妻の姉妹や親戚が大勢いる東北の田舎はどうだろうか。すぐに田舎の本家に電話をかけて、よさそうな物件を探してもらった。

 その結果、いくつかの候補の中にあったのが今暮らしている家だった。その家は平屋だが間取りはゆったりしていて小さな庭もある、とても住みやすそうな家だ。その家の価格は何と格安の1千万円、田舎とはいえとてもお値打ちと言える。ただ、その家を買うには条件があって、犬を最後まで面倒見てくれる人に限ると言うことだった。元々犬の飼い主はその家に住んでいたが、少し前に病気で亡くなっていた。自分の愛犬のことが心配でならなかったらしく、そんな条件を付けたのだろう。

 その家がとても気に入った叔母夫婦はその家を買うことにした。本当いうと、二人共犬があまり好きではなかったが、そんなことは問題ではなかった。初めて犬を飼うことに少し不安はあったが、いざ暮らしてみると、そんな心配は杞憂に終わった。犬はマルチ―ズで、その犬がまた賢くてよく躾がされていた。普通犬はペットシーツで用を足すものと決まっているが、その子はちゃんと人間のトイレに行った。だから夫婦はいつもトイレのドアを少し開けて置くようになった。家に人が来ると愛嬌を振りまくマリーという名前のその犬を夫婦は最後まで面倒を見た。

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