人生は旅

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苦手だった読書感想文

今週のお題「読書感想文」

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 感想文は宿題サービスで

  子供の頃、夏休みはもちろん楽しみでしたが、最大の難問は自由研究と読書感想文でした。そのうち自由研究は見ないふりをしていると、いつの間にか親の方が慌てて奔走してくれるのでした。デパートに連れて行ってくれて、売り場に急に出現した間に合わせの工作教室に押し込まれました。何と楽ちんなのでしょう、言われるままに素直にやっていたら、帰る頃にはもう自由研究ができてしまっていたのです。

 そんなわけで自由研究の方は親にお任せだったのですが、感想文は自分でやるしかない、と頑なに思っていたのです。ところが現代ではそれがステレオタイプな考えであることを知ってしまったのです。以前見たテレビ番組で夏休みの宿題をやってくれるサービスがあることを知りました。もちろん読書感想文も例外ではなく、そこはプロなので学校の先生に気づかれることなく、うまくやってくれるらしいです。なぜ、そうまでしてお金をかけて済ませなければならないのか、それには今の子供は塾の宿題で忙しいという現実があるらしいのです。

 考えてみれば、感想文を書くにはまず本を読まなければなりません。真剣に書こうと思ったら、一度では足りなくて、さらに読み返す必要があるかもしれません。そのために費やす時間がもったいない、あるいは無駄だと思うのなら、宿題サービスを利用する手もあるわけです。

感想文の書き方がわからなかった!

 誰かに代わりにやってもらうことなど考えもしなかった子供の頃、感想文は頭の痛い宿題でした。本を読んだ感想を短い文章で言うことはできても、原稿用紙2枚に上手くまとめるなんて芸当はできませんでした。先生の言う「感じたことを素直に書く」ことは想像以上に難しかったのです。だから、誰もがやっていたようにあらすじを書くほかなかったわけです。「~に感動しました」だけでは終わらないので、少しでも原稿用紙の隙間を埋めるためです。

 考えてみると、学校で感想文の書き方をきちんと教わった記憶はありません。でも頭のいい子はちゃんとわかっていたのでしょうか。夏休みが終わって学校が始まると、読書感想文を提出するのですが、その中からコンクールに出す作品が選ばれます。そんな時はいつだって勉強ができる子の感想文と決まっていました。

今でも記憶に残る感想文は

 私が今でも覚えている感想文は脳腫瘍で余命宣告を受けてしまった女の子の話です。お金持ちで何不自由なく育った少女がある日突然めまいに襲われて病院に運ばれます。診断結果は脳腫瘍で今の医学では手術は難しく、このまま死を待つしかないと知らされてしまいます。絶望した少女は病院を抜け出して別荘に閉じこもってしまいます。降りしきる雨を眺めながら、この雨もいつかは止んで明日には日が昇る、私にだって明日はきっと来るはずだ、と思うのです。「明日になれば、何かが変わるかもしれない」と絶体絶命の中にあっても希望を失わないのです。「絶対に諦めない、前向きに生きる」ことを忘れない強さに当時の私は感心してしまいました。この本のタイトルは「明日になれば」でこの言葉の続きを連想するだけでどうにでも解釈できてしまいます。でも読み終えた後は誰もが希望の光を感じてしまうはずです。

mikonacolon