人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

客をもてなすとは

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主婦の友社『イギリス、本物のくつろぎインテリアを訪ねて』から。

外国人は普段のもてなしを、日本人はお客様扱いを?

 朝日新聞の「多事奏論」の中で論説委員の田玉恵美さんがこんなことを書いていた。「料理好きでも得意でもないのだが、誰かが家に来ると、やたらたくさん食べ物を出してしまう」。つまり、田玉さんは家に来てくれたお客さんに精一杯のサービスをしようとしているのだと思う。人をもてなす気持ちを料理の多さで表そうとしている。これは私だって同じで、だいたいが子供の頃お客さんが来ると必ず鰻か寿司を取っていた。それにお盆やお正月には皆で飲んだり食べたりするので、次から次へと料理を運んでいた。考えてみると、料理がたったこれだけ?というより、沢山出て来た方が嬉しいし、歓迎されていると感じる。特に私が育った地域は人をもてなす、というか、どちらかというと世間体を気にして人によく思われたい土地柄だったからなおさらだった。

 田村さんはある時取材でドイツに行き、森を管理する森林官のロバートさんの家に泊めてもらうことになった。その時、物凄いカルチャーショックを受けてしまった。田村さんは飛行機を乗り継ぎ、途中で一泊し、列車と車でやっとのことで家にたどり着いた。長旅のせいで田村さんはとても疲れていたので、夕食には何か温かい物が食べたかった。でもロバートさんの家で出されたのはハムとチーズとパンだけ。それらは冷蔵庫にあった密閉容器から出されたもので、当然とても冷たかった。後からメインの料理が出て来るのかと思って待っていたのに、そのままで食事は終わってしまった。次の朝も夜もほぼ同じメニューが続いた。

 ハムやチーズがあまり得意でないので、「こんなことならカップラーメンでも持ってくればよかった」と後悔した。正直言って、こんな扱いを受けるのは、あまり歓迎されていないのかとも思った。それで大変心苦しいのだが、紹介してくれた知人に聞いてみることにした。そしたら、「あの一家は客好き」で人が来てもいつもと同じ物を食べているだけで悪気はないのだと言われた。どうやらドイツ人は家に対して日本人とは全く違った考え方を持っているようだ。「衣食住で何より大事にしているのは住。家を手入れして、普段から綺麗にしているから、いつ誰が来てもいい、住まいを見せるのも楽しみなのです」。

 そうか、だから彼らの客に対するもてなし方は豪華な料理を出すことではないらしい。客のために特別な料理を作り、それを振る舞って満足してもらおうなどとは思わないのだ。あくまで自分好みに整えられた自慢の家の中を他人に見て欲しい?らしい。昔ドイツ語講座を聞いていた時、パートナーの女性が春になるとホワイトアスパラガスのクリーム煮をよく食べたと言っていた。お昼は家に帰って食べることになっていて、家で旬の温かいアスパラガスを食べた。でもドイツでは夕飯は冷たい食事が一般的なのだと話していたのを覚えている。

 考えてみると、ドイツ人のもてなし方についての考え方も一理あるのだが、食いしん坊の私としては悲しい事実を知ってしまった。何を隠そう私はパンのみでは生きられないので、旅行に行くときは必ず炊飯器を持参することにしている。ベルリンに行った時はプレッツェルがすごく気に入ったのに、やはり2~3日もすると砂を噛んでいるように味気なく思えて来る。とはいえ”郷に入らば郷に従え”で現地の流儀に従うしかなさそうだ。実際には、ベルリンには誰でも気軽に入れるレストランがたくさんあるので不自由することはなかったのだが。

 「家に人を招く」ことについては大変興味深いデータがあるそうだ。「もてなさなくてはいけないような人は、たとえ身内でも、あまり家に呼ばなくなっているんですよ。家で人に食事を出す機会は激減しました」。これは家庭の食卓調査を20年以上続けれている大学の先生が痛感されていることだ。友人を家に呼ぶのが好きと言う人も以前に比べると減っているのが実情だ。そういえば、最近では実家でも大勢の時はどこかの店の一室で手軽に済ませてしまうことが多くなった。以前のように大量の食器はもう必要ないらしい。ただでさえ外国と比べると、人を家に呼ぶ習慣が無いのに、これではより「内向き」にならざるを得ない。でも自分がいいならそうするのは自由だし、それでいいのではとも思うが、内心は複雑だ。

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