人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

カフェ難民だったあの頃

バカみたいに、居心地の良い場所を求めて彷徨った

 作家の津村記久子さんが「実家に住んでいた頃は、目をぎらぎらさせて、仕事をするための『居られる場所』を探していた」とエッセイに書いていた。現在では「自分はなぜ家にいたくなかったのだろうと思う」そうだが、とにかく狂おしいほどの情熱でもって悪戦苦闘していたらしい。私にも身に覚えがあるので分かるのだが、そう簡単には自分にとってのcozy corner(心地よい場所)は見つからない。良さそうにみえる店はたくさんあるのだが、いざ試しに入ってみると、お尻がむずむずしてとても長くはいられないのだ。店に入ると、まずは落ち着けそうな位置にある席を探して、座ってみる。ここなら大丈夫と思っていても、隣の席の人が気になったり、やたら人が通りすぎる場所だったりして、すごすごと退散することになる。

 端っこの席なら落ち着けると思ったら大間違いで、そこは空調の風がやたらと吹きまくっていて邪魔でしかない。そこでは夏も冬も冷たい風が吹いていて、私の身体はたちまち凍り付いてしまう。仕方がないので、席替えをするしかなくなり、こうなるとまったくソワソワして、「一体全体何をしに行ったのだ、お前は」と情けないことになる。だいたいは朝の空いている時間に店に行って、自分のお気に入りの席を確保しようと試行錯誤する。行く回数が多くなるにつれて、天井にある空調設備からの風がどちらの方向に当たるかがだんだんわかるようになってくる。そうやって、不快な風に邪魔されることなく、落ち着ける空間を手に入れたときの喜びは何物にも代えられない。

 ただ、悲しいことに私の幸せは永遠には続かなくて、その店が突然閉店してしまったりする。それからが大変で、次のカフェの新規開拓をしなければならない。こうなると、変な話だが、私の行動は本来の寛ぐという目的とは全くかけ離れたものになった。つまり、語学の勉強とか何かに熱中したいのに、それをするべき適当な場所が見つからないのでできなかった。当時の私の頭の中には、落ち着ける場所があってこその勉強で、安心して集中できる空間でなければ到底無理だという考えしかなかった。

 ある寒い冬の日に見つけたカフェには窓際にテーブルがあって、そこの席がとても良さそうにみえた。誰でも知っているカフェのチェーン店で、値段が高めなのか、いや値段はスタバと変わらないのだが、なぜか人はあまり入っていなかった。そのガラ~ンとした空間が気に入って、その頃流行っていたボトル持参で休みの日に通うようになった。席についてすぐはいいのだが、しばらくすると寒さを感じるようになった。側にはひざ掛けも用意されてはいるのだが、くしゃみも出だして寒さに耐えられなくて退散することになった。

 あの空間は大好きなのだが、問題は寒さで、どうにかできないだろうかと対策を考えた。そこでネット検索してみると、電気ひざ掛けというものがあることを知った。たしかカフェのテーブルの下にはコンセントがあったので、「これだ!」と勝手に盛り上がった。迷わずクリックして、優れものだと信じて疑わない電気ひざ掛けを手に入れた。休みの日にそのひざ掛け持参でルンルンでカフェに行き、早速ひざ掛けを使ってみた。もちろん最初のうちは暖かくて、大成功!とほくそ笑んでいたが、時間が経つにつれて、なんだか寒くなってきた、いや下半身のみならず、上半身も半端なく寒かった。全身が凍えそうに寒くて、じっとしていられないので敢え無く退散した。残念ながら、電気ひざ掛けのパワーは冬の寒さには通用しないようで、あれはホットカーペットのような存在だとわかったのだ。

 それ以来あのカフェには足が向かなくなり、まるでカフェ難民のようにどこかにあるであろう”温かいカフェ”を求めて彷徨うことになった。私が行かなくなってからしばらくして、あのカフェは閉店し、今では某有名牛丼店になっている。

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