人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

図書館は一つあればいい

二つも必要ないとの意見に納得

 またまた、「いる?いらない?」の記事から、気になる意見を紹介したい。吹田市立千里小学校5年生の辻結斗さんは、学校には「図書館はひとつあればいい」と書いている。最初私は何のことやら見当もつかなかったが、どうやら千里小学校には2つも図書館があるらしい。1,2年生が使う低学年図書館と、3~6年生が使う中高学年図書館の二つの図書館がある。その現実にたいして、辻さんは「わざわざお金をかけて、二つの部屋を作るより、大きい一つの図書館を作った方がいいと思う」という意見だ。よく読んで見ると、「僕が低学年の時、読みたかった本が低学年図書館に無くて、先生に取ってきてもらったことがあった」らしく、そんな過去の経験があったからこそ、ひとつの方が何かと都合がいいと言いたいのだ。

 どうやら二つの図書館を学年に関わらず誰でも自由に利用できないのが問題らしい。確かに本というのは、たとえば、絵本にしたって小さな子供から大人まで幅広い年齢層の読者がいるのだから、低学年はこの図書館、中高学年はあっちの図書館と決めつけるのはいかがなものだろう。そう考えると、辻さんの意見はもっともだと納得できる。実を言うと、初めは図書館が二つもあるなんて、羨ましくもあった。だが自由に利用できるわけでもないとわかってがっかりした。

 子供の頃、私が住んでいた村には本屋などなかったので、学校の図書館は唯一日常的に本に触れられる場所だった。友だちと競争して、図書カードを裏表埋め尽くすのが目標だったこともある。思えば、一番近い町の本屋は子供が歩いて行くのには遠すぎた。もちろん、車で行けばすぐの場所なのだが、大人になって歩いてみたら、30分以上かかってしまった。そんな子どもにとって遠すぎる距離も、大好きな雑誌のりぼんを買いに行く時は全く気にならなかった。どうしてあの頃はあんなにドキドキして、まるで宝物か何かを買いに行くかのようなときめきを覚えたのだろうか。遠いところにあって、すぐには手が届かないものだからこそ、あんなに手に入れたときはワクワクしたのだろうか。

 会社の同僚にとっての図書館はまた違う思い出の場所らしい。彼女は東北の出身で、高校の3年間、毎朝パートの仕事に行く母親の軽自動車に乗せてもらって学校に行った。彼女の家から通学するのに車以外の交通手段がなかったからで、すぐ上の兄はバイクで通っていた。「じゃあ、帰りはどうするの?」との私の素朴な疑問に彼女は「お母さんが迎えに来てくれるまで図書館で待ってるの」と答えた。彼女の母親は工場で5時まで仕事をしているので、それから車を飛ばして学校に来るから、どう考えても6時近くになる。となると、高校の授業が終わるのが3時半だからそれまでどうしても学校に居なければならない。普通の高校生のような自由はないのだ。私の場合は自転車で30分のところに高校があったが、彼女の高校は自転車で通えるような距離にはないらしい。私と彼女では比べ物にならないほど置かれた環境が違うのだ。

 彼女は母親が迎えに来るまでの間、強制的に図書館で過ごすしかなかった。宿題をやったり、本を読んだりして、時間を潰した。そんな不自由な生活も慣れればなんてことはないよと笑うが、想像するだけでなんだか息苦しくなる。だが、見方を変えて、楽観的な視点から眺めると、電車で長距離通学をしているとでも思えばいい。母親を待つ間にすべてやらなければならないことを終わらせて、家に帰ったら寛げばいいのだ。家でやるのと違って、人の目がある分集中して取り組むことができるだろう。

 なんとか明るく前向きに考えようとしてみたが、現実となると、やはり私には無理な注文だと改めて思う。だが、実際に彼女はそんな不自由な生活を乗り切って無事高校を卒業したのだから、感心するしかない。

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