人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ウソつきました

言葉は時とともに変化するから、それが普通に!?

 最近スーパーのレジで、「大丈夫」という言葉を聞くことが多くなった。例えば、店員さんが以前だったら「ポイントカードをお持ちですか」と尋ねる場面で、「ポイントカードは大丈夫ですか」というフレーズを使ってくるのだ。そうなると、聞かれた方はその言葉に釣られるように「大丈夫です」と答えて会話がちゃんと成立してしまう。普通に「持っていません」などと返す人はいないようだ。一体いつから「大丈夫ですか」が市民権を持ってまかり通るようになったのか、定かではないが、今では普通に使われている。だが、私は「大丈夫」に出くわすたびに違和感を抱かずにはいられない。そもそもそれって、正しい日本語なのですかと聞き返したい衝動に駆られてしまうのだ。

 面と向かって「大丈夫ですか」という言葉を聞かされるのは、滅多に行かないスーパーに限られる。いつも行くスーパーでは店内で自分とは関わりのない「大丈夫」を耳にすることもある。ただ、店員さんの誰も彼もが「大丈夫ですか?」を使うわけではないとわかって少し安心した。

 先日新聞の投稿欄にある記事を読んで仰天した。東京都の60代の女性が遭遇した出来事を「ウソつきましたに驚いた」というタイトルで綴っていた。その人は先日4回目のコロナワクチン接種を受けた。接種を終え、40代ぐらいの看護師に「待機終了時間を書いた紙を渡しましたね」と尋ねられて「まだです」と答えた。すると驚いたことにその看護師は「ウソつきました。まだ渡していませんでした」と答えたのだ。一瞬その不適切な言い方にびっくりした。だいたいがこんな場面では「申し訳ありません。こちらのミスです」と謝るのが筋ではないかと思う。何もそんな丁寧な謝罪を望んでいるのではなくて、ただ、ミスをしたなら素直に認めればいいだけのことだ。もっとも「ウソつきました」を堂々と使った看護師は謝罪の言葉として使っているのだろう。

 だが、どう考えても「ウソつきました」はないだろうと思うのは投稿の主と私だけだろうか。コロナワクチンの接種会場という公共の場所で使うにはふさわしくないワードであることは間違いない。だが、投稿者は通っているヨガ教室でもインストラクターがこの「ウソつきました」を使うのを聞いたことがあった。「左手をあげて」と生徒に指示したのに、「ウソつきました。右手でした」などと何度か?訂正したのを聞いたことがあるので、それかと納得した。どうやら自分より若い40代の人たちには「ウソつきました」はすでに浸透しているコトバなのか。

 60代の自分にとっては、「ウソつきました」なんて簡単に言える言葉ではなかった。なぜなら子供の頃からウソをつくのは悪いことだと教えられてきたからだ。だから若い人たちが簡単に「ウソつきました」を使えることに仰天した。どうやら、彼らにとって「悪意があったり、意図的だったりする場合だけでなく、単なる言い間違えや勘違いも指すようだ」と受け取り方の違いに目から鱗の様子。

 この人は仕事で会議録を作る仕事をしている方で、昔の議員と今の議員との落差にも戸惑っておられるようだ。「昔の議員は『もとい』と言っていい間違いを訂正していたが、若い議員が『ウソつきました』と発言した時、『間違えました』と書き直すかどうか迷うところでもある」と心情を吐露されている。

 投稿を読んで感じたのは、ウソという言葉についての認識が世代によって多様であることだ。言い間違いや勘違いが”ウソ”と同義語だとは私にとっては青天の霹靂と言っていい。だいたいが、ウソだなんて言葉は後ろめたくて、大きな声で言えたもんじゃない。人に聞こえないように、そっと、こっそり使うというイメージが先行するが、公共の場においても使われていると知って、椅子から転げ落ちそうになってしまった。

 いつも思うのだが、投稿欄には職業と氏名が明記されて、匿名は一切許されないので、職場や親しい人にはすぐに知れ渡る。なのに勇気をもって、自分がこれはおかしいのではと思うことについて問題提起する投稿者には脱帽するしかない。

mikonacolon