人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

私はライスイーター

今週のお題「わたしは○○ナー」

お米が好きだと気付いたのは、海外旅行の後

 私はパンよりも断然お米が好きなごはん党で、ライスイーターと言ってもいい。こんなご飯が大好きな私も昔はそんなのどうでもいい、つまりパンもご飯もどちらも好きだった。正直言って、パンも美味しいものはご飯に負けないくらいのレベルだった。だから、昔友だちが「私はごはんじゃないとだめなの」だなんて宣った時は、変にこだわりがある奴だと内心思った記憶がある。

 だが、こだわりを一切持たなかった私も、海外旅行を経験したら、やたら日本のお米が恋しくなった。一番初めに訪れたイタリアには個人旅行で行ったのだが、フィレンツェで泊まったホテルはツアーで来た日本人旅行客で溢れていた。そこでの朝食は白いコッペパンを食べて、コーヒーかホットチョコレートを飲んだ。初めこそ物珍しさも手伝って美味しいと感じたが、数日経つとさすがに飽きが来た。その時ふと思った、お米が食べたいと切実に。イタリアでお米の料理といえば、ピラフ、いや炊き込みご飯のリゾットだ。

 ご飯を求めてスーパーに行ってみると、お惣菜コーナーでショーケースの中にキノコが入ったリゾットがあるではないか。喜んだのもつかの間、よく見ると残り僅かしかない。残念だが仕方がない、あるだけ容器に入れてもらう。ホテルに帰って、その貴重なリゾットを味わった。イタリアのそれは、ピラフというより、水分を含んでいて、ねっとりしていていて、どちらかと言うとおじやのようだった。でもお米には変わりがないのでとても満足した。それからは、夢よもう一度と街中のスーパーを巡ってリゾットを探したが、不幸なことに二度と出会えなかった。

 コロナが流行る前まで、海外旅行に不可欠なのは炊飯器と変圧器のセットだった。言うまでもないことだが、ホテルの朝食はどこでも似たり寄ったりでパンが付き物だ。ビュッフェ形式になっている朝食で、運がよければ美味しいパンに出会えるが、そんなことは滅多にない。美味しい酢漬けのニシンが食べられるロシアならまだ耐えられるが、他の国では3日もすればパンの顔はもう見たくなくなる。パンを口に入れると、なんだか砂を噛んでいるような感覚に襲われて食欲がなくなった。だが、空腹なことに変わりはないので、フラストレーションが溜まってどうしたらいいかのか分からない。

 そんなとき荒んだ私の心を満たしてくれるのは炊き立てのご飯だった。アツアツでホカホカのそれだけで何もなくても美味しいので、持ってきた大人のふりかけをかけてシンプルに味合う。飲み物は粉末のわかめスープで、日本だとやたら塩味が気になって好みではないのに、なぜか外国だと美味しく感じるから不思議だ。お米は最高の携帯食だとつくづく思う。水と電気がある場所なら、いつでも、どこでも、ご飯が炊けるからだ。ただ、東欧のアルプスと言われる高地では気圧が低すぎて、ご飯がパリパリになってしまったことがある。

 そもそも炊飯器が必須だと感じたのは、フランスにある自然豊かな渓谷の村で過ごした時だった。村にパン屋は一軒しかなく、何かないかと行って見れば長蛇の列で、しかも店の中を覗くとショーケースの中はほとんど品物が残っていない。こんな何もない所で皆何を食べているかと思ったら、プールサイドで見た家族連れはウェファースを食べていたので仰天した。お菓子でも立派な食事になるだなんて、コメを主食としている日本から来た私には到底信じられなかった。泊まっているホテルのレストランに行くしか道はないようだった、ここで飢えずに済ませるには。

 フランスでのひもじい体験のおかげで、それ以来私は海外に行くときは必ず炊飯器を持って行くようになった。”郷に入っては郷に従え”はもっともなことだが、フランスパンにハムを挟んだだけのサンドイッチを5ユーロで買う時はさすがに胸がチクリと痛む。躊躇するのが嫌なので、「やめとこう、ホテルでご飯を炊いて食べよう」と思えるのは幸せなことだ思うのだ。

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