人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

お弁当への想いは人それぞれ

今週のお題「お弁当」

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▲見るからに美味しそうなピザパン。これだけでもう立派なお弁当の主役になります。 稲葉由紀子著『パリのお惣菜』から。

お弁当って何だろうと考えた

 ある日、私は出勤途中に立ち話をしている二人の母親とすれ違いました。その女性たちは近くにある幼稚園に子供を送ってきたところでした。ひとりの母親が「今朝はお弁当に入れるおかずがなかったの。仕方ないからご飯と漬物を入れといたわ」と笑いながら言ったのです。その発言を聞いてしまった私は思わず耳を疑いました。その当時、私の友達にも同じような年齢の子供を持った人がいましたが、お弁当作りは母親の特権で楽しいものだと話していたからです。そして、私にして見れば目から鱗の発言を、もうひとりの母親は驚いた様子もなく一笑に付していたのです。どうもこういうことは、よくあることらしい、そんな印象を持ちました。でも考えてみれば、幼稚園の子のお弁当なんて、たいしておかずの量は要らないはずです。普通の家庭なら少し頭を使って工夫すれば、「入れるおかずがない」なんてことにはならないと思うのです。

 それにお弁当の時間になって、弁当箱の蓋を開けたとき果たして子供はどう思うのでしょうか。でもそんな事態に遭遇しても、子供は弱い存在なので悲しい思いはしても、母親に対して怒りを感じることはないのかもしれません。最近テレビを見ていて、世の中にはこんなお弁当もあるのだと衝撃を受けることがありました。例えば、弁当箱を開けたら、肉まんがゴロンとか、こんがり焼けた焼き芋が挨拶をしてくれたとか、そんな個性あふれるコントみたいな現実があることを知ったのです。つまり弁当箱には何を入れても自由なのだと私なりに理解したのです。決まりなどなく、こうあらねばならない的な縛りから解放されて、もっと気を抜いても許されるのかもしれないと。

 お弁当で思い出したのは、幼稚園の先生をしていた友人のことです。彼女が毎日持って行くお弁当は料理上手の母親が作っていました。それは子供用の小さな弁当箱の詰められ、おかずがバラエティーに溢れた色とりどりの作品でした。幼稚園の先生というのは子供が食べるのを見ながら、自分の分も食べなければならないので量は少しでいいのです。とはいっても、「先生のお弁当見せて!」と子供たちが自分のところにやって来るので、なんでもいいと言うわけにはいかないのです。その点では自分の母親が楽しんで作ってくれるので、ありがたく思っていたのでした。まるで昔の我が子のお弁当を作っていたときを懐かしむかのように熱中しているのです。

 そんな彼女が園児たちのお弁当を見て感じるのは、明らかに母親たちの気合の入れ方に落差があるという事実でした。お弁当作りに愛情のすべてを傾けている人と、「たかがお弁当でしょう」と気にしない人との熱量の差は天と地くらいあると言うのです。お弁当を母親の愛情を表現したものと考えて、手作り弁当にこだわる人もいるのです。そんな園児たちの中で、友人が感激したのはお爺ちゃんとお祖母ちゃんが作るお弁当でした。母親を不慮の事故で亡くした孫のために毎朝早くから起きて、二人で協力し合って作っています。ある日のお弁当のおにぎりを見たら、顔が男の子と女の子になっていました。海苔で髪の毛を作り、顔も工夫して見事に作られていました。おかずも子供が喜ぶような形になっていて人目を惹きました。それで思わず園児に聞いてしまったのです。老夫婦は毎日二人で買い物に行き、明日のお弁当のおかずは何にしようかと考えているようです。孫を喜ばせたい気持ちでいっぱいで、幸せなことにその気持ちを孫はちゃんとわかってくれていたのでした。

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