人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

文章の書き方を学びたい

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まずは身近にあるお手本から学んで

 ある日朝の情報番組を見ていたら、近頃は書店で日記が売れているらしいとアナウンサーが様々な日記帳を紹介していました。このコロナ禍にあって、時間がぽっかり空いた人達が今の異常な事態を記憶に残そうとしているのだとか。だからと言って、なぜ日記なのか、どうして文章を書く気なるのかが私にはわからないのです。でも以前何かの本で、自分の心模様を書き出して整理すると、ストレス解消になって鬱の予防にもなると聞いたことがあります。なるほど、今まで外に向いていた関心を、一転して自分の中に向けてみるという試みなのかもしれません。さて、そうは言っても、どうやって書いたらいいかわかりません。それにどこにも出かけないのに、大した変化がない生活なのに、いったい何を書けばいいのか。誰か書き方を教えてくれないだろうか、かと言って自分の身近に文章の専門家などいないし、などと困り果てていました。そしたら、そんな人にピッタリの記事を新聞で見つけました。

 それは『誰にでもできる文章の書き方』で芥川賞作家の村田喜代子さんが、普通の人でも無理なく書ける方法を教えてくださるのです。村田さんによると、文章をスラスラ書くことは難しいし、効果的な方法は見当たらない。でも、普段家族や友達に話をしているかのように、自然体で話しかけるように書いてみると割と書けることが多いと思う。そして、忘れてはならないことは、必ず自分らしさを文章に入れること。つまり自分だけしかできないキラッと光る表現を言葉にする。あまり奇抜なことばかり書くと他人に理解されないので、一つくらいでいいから自分の個性を出すようにしたらいい、と初心者でもわかるように丁寧に説明してくださるので、とても参考になったのです。昔村田さんの小説『鍋の中』を読んだことがあったのですが、正直言って何が何だかわからない奇妙な小説だったことしか覚えていません。でも凡人などには理解できないような物の見方、つまり、ありえないような捉え方をとても魅力的に感じたことは言うまでもありません。だから、芥川賞に値するのです。それに村田さんは輝かしいばかりの数々の文学賞の受賞歴の持ち主なのです。そんな非凡な作家が凡人の私たちに貴重なアドバイスをしてくださったこと、そのこと自体とても幸運な機会でした。

 今の私がお手本にするのは、芥川賞の候補作『母影』の著者の尾崎世界観さんです。尾崎さんとの初めての出会いは日本経済新聞の夕刊の「プロムナード」というエッセイでした。尾崎さんは木曜日の担当で、彼が何者なのか全く知らないまま、文章を読んでみると、「何これ、好き勝手に書いているね」が正直な感想でした。ところが回を重ねるうちに、思うままに、自分の感情に突き動かされるままに書いているのではないのだとわかってきたのです。つまり、「びっくりした」とか「驚いた」とか「がっかりした」とかのストレートな表現が文章の中にほとんど見当たらないことに気づいたのです。そう言った自分の想いは文章の中に隠し、読み手が感じるのに任せているのです。例えば、ある日の話題は彼の青春時代の女神の広末涼子さんについてでした。あまり興味がない人にとってはどうでもいいと思うようなことなのですが、なのに、不思議です。1400字ほどの文章に彼女に対する愛をこれでもかと叫んでいるのにしつこくない。読んでいるうちに尾崎さんの彼女に対するどうしようもなく切ない気持ちが伝わってきます。こんな気持ちが懐かしい。誰にでも覚えがあるはずです、遠い星を見つめて憧れる、でも手が届くことはないのですが。

 また、別の日は中学生なのに、東京から夜行バスでなんと鳥取砂丘まで友達と遠出した話でした。10代の少年にとってその場所は生涯の思い出の地となるはずでした。それなのに実際に行ってみたら、どこかで嗅いだことがある生き物の匂いと砂の中にある無数のテントウムシを発見したのです。この匂いは確か近所にあった養豚場の匂いに似ていると気が付いた途端、目の前にラクダの影がちらつきました。となると、砂に埋まっているのは排泄物に間違いないと現実を知らされたのです。中学3年生の思い出にと胸をときめかせて旅にでた結果がこの体たらく、それでも「がっかりしました」とは一言も書かれてはいません。なのに読み手にはその時の落胆ぶりが手に取るようにわかるのですから、これはもう脱帽するしかないのです。

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