人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

コロナ下で化粧をやめる

化粧は必要かと考えた結果、やめることに

 先日の新聞にこんな投書が載っていた。『コロナ下 50年続けた化粧を卒業』、70歳の女性が最近化粧をするのをやめた理由を書いていた。これまで50年以上身だしなみで当然のこととして毎日化粧をしてきた。だが、化粧をしてもマスクをすれば、すぐ汚れる。口紅などはもってのほかで、何のためにしているのかわからない。それでも他人様にはマスクに隠れて分からないかもしれないが、自分だけにはわかる。つまり、いつものルーチンをこなさなければ気持ちが悪く、なんだか落ち着かないのである。でも、そんな疑ってもみなかった習慣に見直しを迫ったのがコロナだった。

 考えてみれば、顔の半分はマスクで隠れていて、他人にはわからない。所属している手話サークルでは口元がわかるように透明のマスクをつけている。趣味のオカリナの教室ではマスクを外すが、仲間からは何も言われなかった。何か言われるのではないかと内心ドキドキしたが、意外に他人は自分の事をたいして気にもしないのだとわかった。それにマスクがすぐ汚れてしまうのも鬱陶しい。それで、思い切って化粧をやめることにした。年を取って化粧でもしないとみっともないとずうっと思ってきたが、顔の半分が隠れるのだから、しなくても迷惑にはならない。そんな風に考えたら、別に必要不可欠なことでもないような気がする。

 今までは年相応の顔のシミ、シワ、ツヤの無さを何とか化粧で誤魔化そうとしてきた。少しでも見映えよく見せたかったのだが、無駄なことだった気がする。悲しいことだが、若い頃のようには美しく見せることはできない。美の追求は諦めて、開き直って堂々と生きよう。たとえ、化粧をしなくても、「前向きに生きて心のハリを持っていれば、身だしなみとし問題ないない」と思うことにした。

 私自身もこの女性の意見に賛成だが、マスクが必要のない世の中にこの先もしなったとしたら、どうだろうか。あるアンケートでは、もしそうなってもマスクをやめるつもりがない人が多いのには驚かされた。顔がどれだけ鬱陶しくても、そんな簡単にマスク習慣をやめるつもりのない人が世の中に少なからずいるということだ。むしろマスクをしている方がラクだと実感している人がいることに仰天せざるをえない。女性の場合は化粧をサボれるのでラク、あるいは相手に表情を読み取られることがないのでラクなどで、理由は様々だ。

 だが、私は元々マスクに縁がなく、インフルエンザで病院に行ったら、先生に「あなたはマスクというものをしないのですか」と非難されてしまった。周りの人に移さないようにという配慮ができなくて、マスクの存在すら頭に浮かばない非常識な人間だった。そんな私にとって、マスクをしている人はなんだか怪しい人にしか思えない。だから、このままマスク生活が続くのは耐えられないと思っていた。それなのに、信じられないことに、マスクが習慣として生活に根付いて、いつの間にか抵抗がなくなってきた。マスク生活を続けたいという人の気持ちも少しは分かるような気がする。

 今となっては、朝起きて顔を洗い、ご飯を食べるのと同様に出かける時はマスクが必需品となった。たまに玄関を出て駅に向かう時、顔が清々しいと感じることがある。すぐにあれ~!?なんだか変だ、もっと顔が暑苦しくなければならないのに。それもそのはず、マスクを忘れていたのだ。これはまずいと慌てて家に戻ることになる。出かける前の顔チェックは欠かせない。それでも何かひとつのことに気を取られているとマスクを忘れる。

 その日は朝から太陽が照り付ける灼熱地獄だったが、私は交差点で信号を待っていた。すると誰かが私のすぐ後ろに立ったので、驚いて振り向いた。するとその人は「気にしないでいいですよ。あなたの後ろがちょうど日陰になるからいるだけですから」と平気で宣ったので二度驚いた。そして、その瞬間、自分がマスクをしていないこと気が付いてさらに落ち込んだ。

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