人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

いつやめてもいいマレーシアに学ぶ

f:id:mikonacolon:20200720081214j:plain

やめる練習とは何か?

 2018年6月に著者が「多くの人はやめる練習が足りていない」というツィートして話題になった本が、冒頭の写真の「日本人はやめる練習が足りてない」です。このタイトルの中にある「やめる練習」とは何なのかを知りてたくて野本響子さんのこの本を手に取りました。日本の現実を見てみると、いじめにあっても学校に行こうとする子供がいて、子供の苦しみを知っても親は頑張って学校に行って欲しいと願っています。あるいは、息子は辛くて辞めたくても会社を辞められないが、親も今我慢すれば道が開けると固く信じているなどという、なんだかおかしなことになっています。みんなが世間で当たり前になっているレールから外れると、生きていけないのではと恐怖すら感じているのです。

 著者はそんな日本にあっては「やめる」のは勇気がいることであり、気軽にそうさせないように社会ができているのだと指摘しています。それに「やめる」ことに対しての固定観念がネガティブ過ぎるのです。例えば「飽きっぽい」とか「我慢ができない」とか「責任逃れ」などのマイナスイメージしかありません。だから、日本人には「やめる」ことをもっとポジティブに考えて欲しいし、気軽にやめることができれば楽になれるのだとアドバイスしているのです。それには日本の社会がそうさせているなどと、社会のせいにしないで自ら喜んで変化を受け入れる姿勢が必要だ。変化を嫌わないで、いくつもの変化を経験し、それに慣れる、それがまさに「やめる練習」なのだと。本音を言うと日本においては「やめる練習」をするのは常に困難が付きまといます。でもピンチはチャンスと前向きにとらえてみたら道は開けるのでは・・・。

マレーシアには台所がない家もある!?

 著者が気軽にやめてもいい社会を知ったのは、偶然にマレーシア人と知り合ったのがきっかけです。その女性は3人も子供がいるのに一人で旅行に来ていたし、驚くべきことに子供はお手伝いさんと義母が面倒を見てくれるらしいのです。信じられないことにマレーシアでは台所もない家も珍しくないそうで、そのほかの家事も外注するのが普通らしいのです。では女性は空いた時間いったい何をするのかというと、自分がしたいこと、仕事でも何でもいいから、自分が楽しいと思えることをするのだといいます。

 マレーシア人の話に興味を持った著者が現地に行ってみると、レストランに子供がいっぱいいてお店の人もみんな子供にやさしくて、日本と大違いだった。子供が迷惑がられる雰囲気のある日本は子供を産んで育てるのは大変だと以前から感じていた。それに子供の教育には特に熱心で留学させるのが普通で、子供が将来困らないように英語を身につけさせるためだった。それでここの人はみんなお金持ちなのかと思ったら、メイドさんも子供を留学させていると知って二度びっくりした。

マレーシアの現実は完璧を求めない社会

 野本さんがマレーシア人のゆるい社会を知って子育てのために移住してみると、すぐにカルチャーショックの洗礼を浴びてしまう。スクールバスはいつも遅れるし、学校の先生もある日突然やめてしまう。この社会ではそれが特に珍しいことではないらしいと聞いてまたショックを受けた。先生も子供相手とは言えども給料が安いとか理不尽なことがあると我慢しないですぐやめてしまう。子供も先生やクラスが自分に合わないとわかればすぐにやめていいことになっている。誰にも文句を言われたり、責められたりすることはないから安心だ。習い事にいたっては、すぐにやめられるから何でも試すことができるという。

 しかしこんなに簡単にみんなが辞めてしまって、社会は成り立つのかという疑問が湧いてきますよね。それがちゃんと社会は回っているようで、ここでは人々はすべてのことに完璧を求めないらしいのです。物事がうまく運ばなくても「怒ったりしない」し、「イライラしない」のです。日本の職場の問題点は何かについて、著者は「完璧を求め過ぎる」サービスが人を苦しめていると指摘しています。『この現状を変えていくには、私たち一人ひとりが、サービスや品質に対して寛容に、テキトーになっていくしかない』と行動変容を促しているのです。

mikonacolon