人生は旅

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ミニマリストの衝撃

お題「#新生活が捗る逸品」

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▲本屋でこの『何もない部屋で暮らしたい』を見つけたときは一瞬頭がガア~ンとなってしまいました。最後のページまで一気に立ち読みしたのですが、何度でも見たくなって買ってしまいました。自分の手元に置いて、いつでも読み返したいと思える本でした。別れが惜しくなるような本、その場限りで忘れてしまいたくない本、そんな本ってなかなかありません。久しぶりに手に取って読んでみると、当時のことが蘇ってきてとても新鮮です。2015年に購入して以来、ミニマリストを目指すようになりました。その後片づけに関連した様々な本を読みましたが、自分の物にしたいと思えるような本には出会いませんでした。だいたいは本屋でサラッと読んで、その中の「このアイデアは凄い」と思った内容を参考にするだけです。本屋から立ち去るときに、後ろ髪を引かれることはめったにありません、悲しいことに。

片づけとは無縁だった私がミニマリスを目指して

 実を言うと、田舎で子供時代を過ごした私は、都会に出て来るまで「片づけ」とは無縁でした。あの頃、結婚式や葬式でもらってきた引き出物は洋服ダンスの上に積み上げられていたし、壊れて使えなくなった電気製品などは離れの屋根裏部屋に持って行くのが習慣だったからです。また現時点では使わないものすべての一時保管の場所としても利用していたのです。家が広いので、不要な物を置く場所を決めていたせいで、特に片付けの必要性を感じなかったわけです。自分の部屋も同様で、小学校では何かと整理整頓しようと教えられていましたが、普段の生活の中で意識したことはありませんでした。あくまでそれは学校でだけの決まり事でした。

 そんな私も一度だけ仰天し、こんな生活をしている人もいるんだとある意味感心したことがあります。当時私たちの村では、その土地に昔から住んでいる住民とは別に他所から移り住んで来た人たちもいました。彼らは市営住宅の狭い部屋に住んでいたのですが、どんな暮らしをしているのか実際に見たことはありませんでした。彼らの子供はめったに家では遊ばなくて、外で遊ぶように親から言われているようでした。それは家が狭いからで、もっともな理由だったのですが、ある日一度だけ遊びに行ったことがあります。私たちは猫の額ほどの狭い縁側に腰かけて遊んでいたのですが、友だちが家の中に何かを取りに行こうと戸を開けました。その時見た光景を今でも忘れることはできません。そこで見たのは狭いながらも美しく整理整頓された、どこに出しても恥ずかしくない部屋でした。畳の上には物ひとつなくて、いつでも何でもできるようにスタンバイされた部屋でした。折り畳みのテーブルを出してくれば食事もできるし、また布団を押し入れから出せば寝室にも早変わりするのです。唯一の部屋を自由に使えるように極力何も置かず、散らからないように努力していたわけです。

 子供ごごろにも「部屋がない人達はこんなにもすっきりと暮らしているんだ」と衝撃を受けました。だからと言って、それに影響されて自分の生活が変わったわけではないのです。考えてみると、家が狭いと何か工夫して、少しでも快適にしようと頭を使わざるを得ません。子供の時に見た光景は、狭いスペースで暮らす都会の生活そのものだったのです。そのことを意識したのは東京に来てだいぶ経ってからでした。実を言うと、記憶の奥底から忘れていたはずの思い出を引っ張だしてくれたのは、佐藤可士和さんの言葉でした。それは「デザインは整理そのもの」で佐藤さんが整理に目覚めたのは小学校3年の時でした。ある時友人の家に遊びに行ったら、部屋がきちんと整理されていて、本も鉛筆もランドセルさえもが美しく置かれていたのです。その光景に触発された佐藤さんは家に帰ると早速自分の部屋の整理に取り掛かりました。そして気づいたのは整理は楽しいということで、今考えると自分の6畳の部屋をデザインしていたのだと懐かしく思うそうです。

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