人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

時と共に変わりゆくモスクワ

今週のお題「好きな街」

赤の広場に立って見た光景の美しさに涙

 私にとって、モスクワは子供の頃教科書に載っていた、”赤の広場”のある場所でしかなかった。もちろんまさか大人になって実際に行くだなんて夢にも思わない場所だった。モスクワのイメージは物凄く寒そうで、夏でも寒いくらいの気候かと思ったら、大間違いだった。「モスクワは寒いのですか」帰りの飛行機で、前の座席に座っている人にそう聞かれた。「とても暑かったですよ」と即答したら怪訝な顔をされた。本当のことを言ったまでなのに誰も信じてはくれなかった。

 先日のブログにも書いたようにロシアのサンクトペテルブルグにはエストニアから陸路で行った。バスで8時間かかったが、車窓から眺める景色が物珍しく、楽しいのであっという間に着いた。もちろん途中でトイレ休憩があって、どこかの村のレストランに立ち寄った。ふと見ると、バスの運転手二人がでテーブルでナイフとフォークを使って食事をしていた。今思うと、信じられないくらいのどかな時代だった。確か、あれは2008年の夏だったと思う。翌年行った時はバスの中で持ってきたドーナッツを食べて終わりだった。えらい変わりように仰天したのを覚えている。

 モスクワにはサンクトペテルブルクから夜行寝台列車で行った。夜の9時ごろ乗ると、朝の5時ごろにはモスクワに着くので、地元の人に人気があった。それにロシアは列車の運賃が信じられないほど安くて、私の席は片道3千円だった。一番安い席で、三等席の”開放寝台”というのだが、普通の席が寝る時にはたちまち2段ベッドに早変わりする。当たり前の話だが、上のベッドによじ登るのは初心者にはハードルが高かった。もちろん足をかける金具は付いているのだが、慣れていないので最初からうまくはいかない。普通の人は下の段のベッドを選択するので、まず先に売れるのは偶数の番号の下の席だ。だから最後に残るのは奇数の上の段の席しかないので、私などはそんな席で横になるしかない。だが、列車の天井に近いベッドに寝転ぶと、なんだかとても落ち着くのに気がついた。”余り物には福がある”というのはまさに真実をついているのだと実感した。

 当時モスクワはサンクトペテルブルクに比べて、天文学的にホテル代が高かった。ペテルブルグでは中心部でもバストイレ付きのホテルに泊まれたが、モスクワではそれができなかった。最低でも一泊4万円くらいするので1週間も滞在することは考えられなかった。だから、観光名所がある中心部から少し離れたところにある安いホテルに泊った。安いと言っても一泊2万円はするところで、地下鉄の最寄り駅から歩いて15分ほどの場所だった。それでもモスクワの地下鉄はとても便利で、運賃も一度乗ればどこまで行っても同じだったのでありがたかった。その頃はルーブル高で、モスクワの街も最高に活気づいている時代だった。日本の原宿にある竹下通りに相当する人気の場所は若者で賑わい、大道芸や似顔絵書きをする商売も盛んだった。

 いつ行っても退屈しない場所としての輝いていたモスクワを知る私としては、近年の変貌ぶりが悲しい。ルーブルが急落して、モスクワの中心部の高級ホテルの料金が腰を抜かすほど安くなった。やっと私たちのような普通の人にも手が届くようになった。赤の広場やトレチャコフ美術館にもホテルから歩いて行ける場所に泊まれた。だが、当然のことながら、サービスの質は”お値段以上”と言うわけにはいかない。ホテルの前には迎えてくれるスタッフはいないし、荷物だって持ってはくれない。朝食のビュッフェだって、パンに付けるバターはどう見てもマーガリンだ。コーヒーや飲み物のお替りだってセルフサービスだし、たいして食べる物もない。まあ、朝食代はホテル代に含まれているから文句も言えないのだが。

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