人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

新しい家は快適、されど

家が新しくなったら、人が来ない

 以前ブログに書いた知人の実家の話には続きがある。長男が結婚しなくて嘆いていたら、新しい家を自分のお金で建ててくれたので感激したという話だ。知人は今年のお盆に田舎に行くか行かないか、どうしようか迷っていた。だが、会社の同僚の母親が亡くなったので、その関係でお盆は休暇が取れなくなった。つまり、知人の会社は会社自体の休みはなく、従業員が交替で休みを取ることになっていた。コロナ禍で2年近くも田舎に帰っていないので今年ぐらいはなんとかして帰りたいと思っていたのだが、どうやら無理そうだ。同僚の代わりに自分が出勤する必要があったからだ。

 それで、まずは実家から車で2~3時間の隣の県に住む次兄に電話をしてみた。今年は行けそうもないと断りをいれるためだった。次兄は毎年のようにお盆も正月も実家に泊まりに行っていたし、田植えや稲刈りの時にも手伝いに来ていた。港町に住んでいるせいか、いつも市場で安くて新鮮な海産物を仕入れて持ってきてくれていた。知人の実家は本家なので、盆と正月は親戚が集まる賑やかな家だった。次兄の差しいれた食べ物は皆の酒の肴になって喜ばれた。その次兄が、信じられないことに「俺も行かないと思う」と言ったのには、知人は仰天した。

 ええ~!?「行かない」ってどういうこと?訳が分からなかった。だって、今まであんなにしょっちゅう行っていたのにどうして!?次兄に理由を聞いてみて驚いた。何と「俺は親戚連中に煙たがれるんだよ」と言うのだ。「あんなにいろいろよくしてやったのに!?」と嘆きと怒りは止まらない。田舎の人たちは、と言ってももう親の世代は亡くなっているか、あるいは年を取って発言権がないのでその子供たちのことなのだが、次兄のことをよく思わない、どころか嫌な顔をする。次兄にはあまり来て欲しくはないのがその態度でよくわかるらしい。いわゆる、世代交代の波が田舎にも押し寄せてきていた。次兄はたまに兄と飲んで楽しく過ごしたいだけなのに、周りがそれに水を差すのだ。

 それに、兄の長男の建てた家と言うのが、前の広々とした家とは違って狭いらしい。「もう、寝る部屋はないぞ。茶の間に布団敷いて寝るしかない」そうで、以前のようにどこの部屋でもいいと言うわけにもいかないらしい。新しい家は2階建てで、2階には長男と長女の部屋があり、1階は台所と兄夫婦の部屋と茶の間だけらしい。お客が来ることなど想定していない、いかにも40歳になる長男らしい発想の家だった。それでも「茶の間になら、5人分の布団ぐらい敷けるぞ」と兄は言い訳をするので、弟たちには来て貰いたいらしい。古い家が新しくなったのは喜ぶべきことかもしれないが、もう以前のようには暮せない。昔のようにもう人が集まる家ではなくなってしまった実家は、次兄にとっても、知人にとっても”いつでも帰れるホッとする場所”ではなくなってしまった。遠く離れた場所で実家を想う知人はともかく、車で行こうと思えばすぐにでも行ける距離に住む次兄はその複雑な思いをどう解消すればいいのだろう。

 ましてや兄も次兄も70代でこれから人生後半楽しくやりたい思っていたのにこんなことになるなんて、想像もしなかった。実家はもう兄の代ではなくなったのはよくわかっている。「これからは若い人の流儀で、若い人の考えに従うしかない」と兄が寂しそうに言っていたのを思い出した。だが、最近言われるような”人生100年時代”にあっては、このままでは老人に「死ぬまで我慢せよ」というのに等しい状況だ。だいたいが、年寄りと若い人が双方とも満足して仲良く暮らすことに無理があるのではないだろうか。知人の兄は子供たちに各自好きなことをさせてきた。子供の意志を尊重して育てて来たのに、年を取ってみたらなんとも寂しいことになっていた。

mikonacolon