人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

新聞が来ない!?

新しく新聞を取った、でもなぜか新聞が来ない!?

 2~3日前から新しく新聞を取っている。それまでは日経と朝日を取っていたが、最近では楽しみにしていた小説が面白くなくなってきた。つまり飽きがきて何か別のものが読みたくなった。そんなときに○○新聞のPR版が玄関ポストに入っていた。それで試しに取ってみようと思った。早速電話して翌日から入れてもらったが、3日目の土曜日になったら、朝刊が来なかった。あれ、どうしたのだろう?と不思議に思ったが、もしかしたら忘れているのかもしれない。だったら遅れてもいいから、後から持ってきてくれればいい。新聞が少し遅れたぐらいで、すぐに販売店に電話する煩いオバタリアンになりたくなかった。私としては何でもいいから、とにかく配達してもらえればいいのだから。

 考えてみると、日経はほぼ間違いなくきちんと入れてくれていた。だが朝日は、時々人が変わるらしく、遅れたり、あるいは配達されないことも時にはあった。新聞を待っているこちらとしては迷惑な話である。だが、もし私が配達する人の立場だったら、いつもの時間に少しでも遅れたら電話されてしまうとしたら凄く嫌だなあと思う。時間通りなのはとても素晴らしいことなのだが、それに捉われたら辛いだけだ。そんなプレッシャーを感じるのは御免だ。もっと緩くていい。

 そんな風に日頃考えているので、土曜日の朝、朝刊が配達されなくても気にしなかった。というより、後で「すみません」と言いながら持ってきてくれるのを期待した。だが、待っていたのに新聞は来ない。なのに、驚くべきことに、夕刊が来てしまった!朝刊を待っていたのに夕刊が配達されるなんて!どういうことなのか、さっぱり分からない。私なりにあれこれ想像してみた。すると、朝刊と夕刊を配達する人が別の人なのではないかという考えが浮かんだ。となると、翌日の日曜日の朝刊も来ないはずだった。平日の朝刊と夕刊はきちんと配達されて、土曜の朝刊が来ないのは、おそらく土日は別の人の担当なのだ。つまりはその人は忘れているのではなくて、顧客の情報を知らないだけなのだ。きっと新聞店で申し送りがされていないのだろう。となると、なんでもいいから早く気づいて欲しい、とこちらが願っても無理な話だ。

 予想通り、日曜日も朝刊は来なかった。これは間違いなく情報が伝わっていないのだ。このまま黙っていたら、永遠に土日の朝刊は配達されることはないだろう。面倒だが、電話などしたくはないが、気づいてもらうためにはやはり電話しなければならない。仕方がないので新聞店に電話をすると、「配達員に伝わってなかったみたいで、すみません」と謝罪された。正直に言えば、こちらとしてはあちらに早く気づいて欲しかったのだが。もし何も言わずそのままにしていたら、こちらが悶々として、バカみたいなことになってしまう。

 「今から、持ってきます」と言われてしばらく待っていたら、玄関のチャイムがピンポン!となった。土曜と日曜の新聞を手渡された私は、持ってきてくれたのだから、まあいいか、と思うことにした。それに、新聞の宅配は日本では当たり前のことだが、外国ではわざわざ街なかにある新聞スタンドで買わなければならない。そのことを思えば、雨の日も雪の日もちゃんと家まで届けてくれるのだからありがたい。だから少々のことは多めに見たいし、時間に正確でなくていい。

 新しい新聞は思った以上に私には新鮮だ。一番の楽しみは『ねえ、ぴよちゃん』という4コマ漫画で、たわいもない話だが、そこがまたいい。クスッと笑えて、なんだかほっこりとした気持ちになれる。日常の小さな楽しみがその人の一日の幸せに影響を及ぼすことは皆知っている。「なんかいいことあったの?」と聞かれてもすぐには答えられないが、人に言えない小さないいことならいっぱいあるのだから。

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