人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

新聞休刊日に想う

読者にとっては、なんだか物足りなくて寂しい日

 昨日は月に一度、必ずある新聞休刊日だった。夜中にドアポストがカチャッとなる、あの音が聞こえなかった。いつもなら2時!?と3時半ごろにお決まりの音がして、新聞が配達されたのだと布団の中で気づくのに。新聞休刊日は何のためにあるのか、それは新聞製作者や新聞販売店の従業員に休息をとって貰うためにあるに決まっている。

 考えてみると、雨の日も風の日も台風の時だって、新聞を配達して貰えて、何の苦もなく読めるなんて、物凄く幸せなことだ。以前知人の若い男性に、今どき、テレビのニュースで情報は入手できるのだから、新聞なんて必要ないでしょうと堂々と言われた。月に4千円はもったいないし、無意味な出費だとしか思えないと。彼は普段からスマホでしょっちゅうYouTubeを見ている。そんな彼に私は「テレビのニュースは世の中の出来事のほんの一部に過ぎない」のであって、そんなんじゃ全然足りないのだと説明する。もし新聞を読まなかったとしたら、「それは目と耳を塞がれたのも同様で、暗闇の中に居るに等しい」とも言った。

 もちろん、そんなことを言ったくらいで、彼は納得しない。どうしてお金をかけてまで、世の中のことを知る必要があるのか、不思議でならないらしい。こんなたいそうなことを言っている私にしたって、新聞を真面目に読んでいるわけでもない。世の中で何が起こっているのか説明できるわけでもない体たらくで、実に恥ずかしい限りだ。だが、これだけは言える、ゼロよりは一でも二でもいいのだと。全く知らないよりは物事の上っ面だけでもサラッと知っている方がましではないか。

 時代の流れなのか、最近新聞店からデジタルも併せての購読を勧められた。スマホの方が隙間時間にどこでも読めて便利だからとの配慮からだ。正直言って、デジタルを利用する気はさらさらないが、ふと、記事のスクラップはどうするのかが気になった。当然ながら、気になる記事は切り取って後でまた読み返したい。スクラップをどうやるかについては真剣に知りたいわけでもないが、試しにネットで検索してみた。その結果はちゃんと専用のアプリなるものがあってファイルに入れて保存できるのだ。だが毎日のことなので、スクラップ記事は溜まると膨大な量になる。記憶媒体の容量は大丈夫かと想像しただけでも気が気でなくなる。

 数ある検索結果の中で、注目すべき記述があった。それには「新聞の記事をスクラップするのにベストな方法は欲しい記事の部分だけを印刷して保管すること」と書かれていた。ええ!?どういうこと!?俄かには信じられないその内容を目にした瞬間、私は呆れてしまった。せっかくのデジタルなのに、結局は最後には紙に還るのかと。今の世の中はSDGsでペーパーレスの時代を目指していながら、紙を頼りにしない訳にはいかないのだ。幸か不幸か、それ以上はネットにあった記述を深く追求するまでの好奇心を持ち合わせていなかったので、真相は分からない。完全に興味を失ってしまったので、わからなくてもいっこうに構わない。

 新聞を3紙取っていると、楽しみなのは連載小説で、一回に単行本の2ページ分ぐらいの量なのですぐに読めるのがいい。しかも自分が滅多に手に取ることがない類の作家の文章を読める機会が与えられるのは幸運だと言える。今日経新聞では朝刊に安部龍太郎さんの『ふりさけ見れば』が連載されていて、もう一年を超えた。この連載が始まって間もなく、田舎の叔母が突然亡くなったので余計に感慨深い。叔母は「安部龍太郎は文章が上手いから私は好き」と言って、入院していた病院から家に帰れたのをとても喜んでいた。コロナ禍の病院では新聞すら自由に読めない生活を送っていたのだから無理もない。その間はスマホでメールの交換をするのみだったが、文面から何か少し違和感を抱いていた。つまり、それは気丈な叔母の性格からは考えられないようなある種の変化で、精神的にぜい弱になっていたのは間違いない。

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