人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

新聞をゆっくり読む

今週のお題「おうち時間2021」

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NHKまいにちフランス語のテキストのグラビアから。

新聞で毎日が発見の連続に

 今朝いつものように散歩に出かけて、交差点で信号を待っていました。ふと見たら、斜め向かいにある花屋が店先にもう草花の鉢を並べていました。いつもは店を開けるのは12時ごろなのに!こんな朝早く何事かと思って、よく見たらそれは赤やピンクのカーネーションだったのです。そうでした、今日は花屋にとっては闘いの日、つまり母の日でした。そう言えば2~3日前からすでにアピールは始まっていたのです。花屋としてはやる気満々で、朝から「気合が入ってる」と感心しました。あとはこの花屋の熱量がお客さんに伝わればいいのに思うのですが、去年は全く売れませんでした。でも、今年はコロナ禍で2度目の母の日ということで、少し様子が違うのだと新聞で読んだばかりでした。

 その新聞のことなのですが、最近は真面目に、ゆっくりと読むようになりました。というより、正確に言うと、ぽっかり時間ができたことで、新聞を読む機会が与えらえたのです。以前は忙しさに紛れて、目の前のしなければならない仕事を優先させて、新聞を読むのは後回しでした。それも読むのではなく、パラパラと捲って見出しを「見る」程度です。それでも何とか世の中で何が起こっているかはわかっているつもりでした。しかし、いざ意見を言おうとすると、どうも自分の言いたいことが口から出てこないのです。つまり知ったかぶりをしていただけなのです。

 新聞で思い出すのは、小学生のとき、それも6年生の時のクラスに社会情勢にものすごく詳しい女の子がいたことです。その子は勉強ができる子ではありませんでしたが、社会の授業の時は、誰よりも輝きを放っていたのです。普通の子供から見たら、もう尊敬に値するような知識があって、クラスの全員が圧倒されていました。先生の教えることに異論を唱えたり、あるいは先生よりも詳しかったりしました。それで、授業中にある出来事について、ふたりの討論会になったこともありました。そのせいか、先生はその女の子を誰から見ても、いじめているのは確かでした。言葉遣いや態度で明らかに、みんなと差別していたのです。クラスの皆は薄々気づいていました、先生はその女の子が煩わしいのだと。何も知らない私たちのような素直な小学生の方が先生にとってはやりやすかったのです。今から思うと、先生の態度は大人げなくて、人間としての器が小さいと言えます。実際、その先生はとても生徒思いで、話しやすいタイプだと最初は思っていたのです。でもその女の子に対してのありえない態度を見せつけられたら、だんだんと信頼が揺らいできました。

 先日、新聞に「新聞と新聞配達に関するエッセイ募集」の広告が載っていました。内容は日頃感じている新聞への思いや意見、要望など、自由に書いていいということでした。また新聞配達をしたことのある人はその時の経験や感じたことを400字程度にまとめて応募すればいいというものです。となれば、自然と書くことは決まっていて、深く考えることなどありません。日頃から思っていることを心のままに綴るだけです。「もし、これから収入が減ったとしても、新聞の購読をやめるつもりはありません。なぜなら、それは世の中に対しての自分の目と耳を塞ぐことだからです」と新聞が自分にとって不要不急の物ではないと書きました。それから、新聞販売店のスタッフへの感謝も忘れませんでした。去年の2月下旬に「今ならマスク2箱まで買えます」のチラシが入っていたからです。申し込めば、新聞と一緒に自宅に届けてくれるサービスでした。まだマスクが薬局から消え失せるなどとは夢にも思わなかったときに、こんな至れり尽くせりのサービスを思いつく先見の明に脱帽したのです。

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