人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

巣から追い出されたような悲しい気持ち?

夜は、特に深夜は名作が生まれるのだろうか

 「生きていてもっとも心許ないのは、仕事をするために夜中に起きて布団から出なければいけない時だ」と作家の津村記久子さんはエッセイに書いている。だが、津村さんの生活をよく知らない私は、なぜわざわざそうまでして、そんな夜中に起きなければならないのか、さっぱりわけがわからなくて戸惑うだけだ。要するに、夜中に起きる必要があるから、そしてそうやって仕事をする生活を今までずうっと続けてきて、もう習慣になっていると言うことだけは想像がつく。おそらく、津村さんにとって小説を執筆するベストな時間帯、もっとも筆が進んで高揚感に達する時間が夜中なのだろう。今年の冬は特に寒さが厳しかったせいで、余計に辛さの度合いが増していることだけは確かなようだ。

 津村さんと比較するのはおこがましいが、私も昔は世の中の人が寝静まって静寂が訪れる深夜が大好きだった。頭の中が澄み渡って、本を読んだり、物事を考えるのには最高の時間だ。昼間のように生活音に邪魔されていては、さっぱり落ち着かず、何かを考えるような状況ではありえない。作家の五木寛之さんの言葉に『昼は行動の時間、夜は思索の時間』という名言があるが、まさにその通りだ。人々が眠りにつく夜の9時頃から夜中の2,3時頃まではゴールデンタイムと言うべき至福の時間だった。ただ、残念なのは、調子に乗ってそのまま朝まで起きていると、翌日に代償を払うことになってしまうことだ。なぜそんな生活になったかと言うと、家に帰ると疲れて寝てしまうからで、もちろん朝まで熟睡というわけにはいかず、途中で必ず起きる。となるともう眼が冴えて眠れないので、このチャンスを見逃すはずもなく、目の前にある夜の静寂をとことん味わおうとした。ラジオの深夜放送を聞きながら勉強をした、というより勉強なんてただのポーズで、実際は深夜放送の方を主に聞いていた。

 最近ネットで「名作は夜生まれる」などという文面を目にして、ふと考えてみたら、夕方から深夜まで仕事をする人が多いことに気が付いた。私の知る限りではイラストレーターの益田ミリさんは夜中に仕事をして朝が来たら寝て、起きるのはお昼だ。ミリさんの漫画の中に散りばめられた、普通の人ではとても思いつきそうもないインスピレーションは夜中に生まれていた。やはり夜の静寂は人の感性を刺激し、才能を開花させる摩訶不思議な力を持つのだと信じたくなる。

 以前日経新聞の夕刊に今はもう終わってしまったが『読書日記』という連載があった。その連載で詩人のカニエハナさんが自分の詩が生まれる瞬間を書いていた。カニエさんは詩集『用意された食卓』で2016年の中原中也賞を受賞した気鋭の詩人である。そのカニエさんによると、家族が寝静まって、真っ暗になった台所のダイニングのテーブルの片隅で、古いスタンドの薄暗い灯りしかない場所でしか自分の詩は生まれないのだと言う。薄暗い空間の中に身を置いていると、不思議なことに言葉が自然と沸き上がってくる。なので、雑音が充満している明るい昼間に詩の創作はありえないのだ。

 小説でも詩でも、漫画でも芸術に関する仕事をしている人はどうやら夜が好きらしい。先日テレビ番組を見ていたら、ドラマの脚本などを書いているバカリズムさんが出ていて、「僕は基本的に、夜中は何かしら書く仕事をしています」と話していた。だがその一方で、作家のいとうせいこうさんは、「夜中書いた原稿を朝読み返してみたら、ロクでもないことが多いんですよ」と歎き、「あれは時間の無駄でしかありません。それくらいなら朝早く起きて書いた方がよっぽどいいものが書けますよ」と指摘していた。いとうさんは十分な睡眠をとってこそ、ベストな仕事ができると主張する朝型の作家のようだ。実際に「知の巨人」と呼ばれる作家の佐藤優さんは毎日4時45分に起きて、すぐに仕事に取りかかる。直木賞作家の西條奈加さんも朝型で、毎朝7時に起きて仕事机に直行する生活をしている。起きたばかりの頭の中は小説のことで溢れかえっているらしく、それを早く吐き出したいのだ。おかげで「文章は夜書くもの」というステレオタイプな思い込みを覆されてしまった。

 今現在私は朝方の生活をしているので、昔のように深夜を楽しむことはできないが、それに代わるのは夜とも朝ともつかない皆が動き出す前の静寂のひとときだ。昼夜逆転の生活に未練はないが、誰もが自分が落ち着ける静寂の世界を求めているのは確かなようだ。

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