人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

心に刺さる「死んでも床に物を置かない」

お題「#新生活が捗る逸品」

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▲整理収納コンサルタントの須藤昌子さんの著書『死んでも床に物を置かない』。本屋でこのタイトルを目にした時は一瞬で凍り付いてしまいました。まさに核心を突いた指摘に感動さえ覚えました。「絶対に」などという生易しい表現ではなくて、「死んでも」なのですから究極の熱意が伝わってくるのです。「これくらいなら」という安易な考えが積もり積もったあげく、どうしようもない散らかった状態になることは経験からわかるのでなおさらです。(写真はアマゾンのサイトから)

やらないルールを自ら作ることの大切さを学ぶ

 希望に燃えて、新しい部屋で生活をスタートさせようとするとき、必須なのはこの本のタイトルにもあるように「死んでも床に物を置かない」ことです。テレビのコマーシャルが覚えようとしていないのに口をついて出て来るように、この言葉を呪文のように呟き、自分に言い聞かせてみる。そして、やるべきルールではなくて、やらないことのルールを決めればいいのです。この本の著者須藤昌子さんが強調するのは、床に物を置かない、テーブルに物を置かない、棚に物を置かない、なのですが、一時保管の場所を必ず作ることを勧めています。つまり、捨てるかどうか迷ったときの物の避難所としてのスペースです。もちろん、生活に必要な物の収納場所はあらかじめ決めておきます。あらゆる物が迷子にならないように、それぞれに住所を与えてあげるのです。それと、物の数を決めておいて、一つ買ったらひとつ捨てることをルール化する、そうすれば、あとで断捨離などという疲れることをしなくて済むのです。

 私の友達に掃除が大好きな女性がいるのですが、自他共に認めるほど掃除が趣味のような人です。ある日遊びに行ったら、話の途中にも関わずまるでそれが自然なことであるかのように拭き掃除を始めたのです。それも、私たちとあれこれ話しながら、本棚や飾ってある人形ケースのガラスを拭いていきます。全く手を止めることなく、毎日の習慣である掃除をこなしていたので、「掃除が好きだね」と皆呆れました。彼女曰く、「きれいになるのが楽しい」と言うのです。どこに出しても恥ずかしくない綺麗な部屋の拭き掃除、だからこそやる気になるのだと納得しました。

 須藤さんによると、片付けの苦手な人は片づけや掃除ができないから、「部屋が汚い」と思われている。しかし、実は逆で部屋が汚いから、「片づけや掃除ができない人」になるのだそうです。なるほど、心の中でストンと重荷が落ちたような気がします。自己啓発のために片づけ本を読む前の自分を思いだすと、私の視線は外へ外へと向けられていました。その行動の裏には紛れもない真実が隠されていたのです。つまり、できるだけ自分の部屋に居たくないのです、部屋が汚いから。「部屋が汚いと人は事実を直視したくないので外に逃避するようになる」とは何かで読んだことがあります。どうにかしなければとは思うのですが、一歩踏み出すきっかけもないし、面倒臭いのが嫌いなのでやる気になりません。でもそんな人にも逃れない絶好の機会が訪れることもあります。その最大の機会は引っ越しです。今まで何かと自分に都合のいい言い訳をして避けてきた、その代償はとてつもなく大きくて、疲れ切ってしまいます。でも片づいた部屋を見ていたら、達成感もあってなんだかスッキリします。その時の爽快感が一時的なものであったとしても、この経験が後になって役に立つのは間違いありません。

 現在の私が戒めとしているのは、朝日新聞の声欄に載っていた、長崎県に住むある男性の提言です。その人は集中豪雨で泥まみれになった大分県にある実家を毎週片付けています。もちろん自分一人ではできずボランティアの方に助けてもらっています。トラック何台分ものゴミが出ます。やってもやってもはかどらず先が見えません。終わりのない作業の中でふと思ったのは、「不用な物が多すぎる」ということです。それに「人が生きていくのにこれだけ多くの物が果たして必要なのか」と疑問にも思いました。もしも普段から不要なものはすぐに処分し、必要最低限度の物で暮らしていたなら、これほどの片づけの苦労はしなくてよかったのではと、今更ながら実感したのです。

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