人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

乗代雄介さんのこと

知れば知るほど、ユニークな作家のひとり

 乗代雄介さんのことを知ったのは、新聞の新刊書の広告だった。その本のタイトルは『旅する練習』で、宣伝文句には、「コロナ禍の夏休みに、ひとりの青年が姪の少女と川沿いを歩いて、文字通りの旅する練習をする」と書かれていた。この作品は坪田譲二文学賞も受賞していて、また芥川賞の候補にもなったはずだ。この時の私の反応ときたら、「ふ~ん」という冷たいもので、一瞬で乗代さんのことは私の頭の中から消えていた。

 だが、運命なのか、私は再び乗代さんと出会うことになった。購読している日経新聞の夕刊のプロムナードというコーナーに乗代さんがエッセイを書くようになったのだ。月曜日から土曜日まで各界の著名人が曜日を決めて担当することになっている。乗代さんは月曜日担当で、期間は6カ月なので、ざっと見積もっても24回ほどは作家に会える、いや文章を読む機会が与えられたのだ。文章というものは本人が隠そうとしても、素のままのその人が出てしまうものだ。もっとも乗代さんは躊躇なく自分をさらけ出して、正直に書いているわけで、それがこちらとしてはとてもユニークで好感が持てる。正直、読みながら世の中にこんな人がいたんだ、へえ~?そうなんだ!と思うことが多々ある。

 まずは歩くことが大好き、それも普通の道ではなく、川沿いをどこまでも歩くのが好きなのだそうだ。何時間も歩いて、何をするかと思ったら、画家が景色をスケッチするように、目の前の情景を文章でスケッチするのが習慣になっている。おそらくそれは小説を書くときに役立つというより、むしろ文章を書くこと自体が好きなのだ。

 小説家になる前から、読書が趣味で、乗代さんの頭の中が膨大な知識で詰まっているのがこちらに伝わってくる。ありとあらゆるジャンルの本を読んでいるようで、先日のエッセイの中にもモースの日本滞在記『日本その日その日』が出て来た。モースって誰?と一瞬考え込んでしまった私は全くもって教養がない。恥ずかしい限りだ。モースは明治時代に大森貝塚を発見した人だ。乗代さんは大森を訪れた際、「大森貝塚にまつわる場所を回り、改修直前だった品川歴史館を見学し、東京湾岸の埋め立て地を流れる運河沿いをあるいた」そうだ。もちろんその時も情景スケッチをして、「30分ほど、改行無しで原稿用紙一枚分ぐらい書く」作業をした。

 こちらの思い込みなのか、作家というものは年がら年中部屋に引きこもってせっせと執筆しているイメージしか浮かんでこない。それだからか、乗代さんのエッセイを拝読した途端、こんな人も居るんだ!?と驚かされた。歩くことが趣味の小説家、なんて果たしているのだろうか、そんな素朴な疑問が湧いてきた。追い打ちをかけるように、ある日のエッセイの話題は「コインランドリー争奪戦」だった。また疑問の渦が広がった。

 コインランドリーって何なの!と当方は訳が分からず当惑するばかり。どうしてコインランドリーがそんなに悩ましいのか理解に苦しむ。その理由は単純明快だが、当人にしたら、笑うに笑えない切実な問題なのだ。乗代さんは仕事で?ビジネスホテルに泊まることが多いらしく、そのホテルの地下にあるコインランドリーを利用する。ところが、誰も皆考えることは同じらしく、ぴったりと思惑が重なることが多いらしい。つまり、いつ行っても洗濯機は空いていない。自分が洗濯したいときには、洗濯する自由はどうやら与えられてはいないようだ。それで、テレビドラマに出て来る刑事の張り込みさながらに、コインランドリーの真ん前で堂々と張り込みをする羽目になる。首尾よく成功して部屋に戻り、もう洗濯は終わったはずと思って行ってみたら、自分の洗濯物が出されて行方不明になっていた。大変だ、脱水したばかりでまだ濡れている洗濯物はいったいどこへ行ってしまったのか。慌てて、ホテルのフロントに駆け込んだら、「これですか?」と差し出されたのはビニールに入った自分の洗濯物だった。ふと見たら、トランクスが丸見えでよりにもよって一番派手な絵柄だったので気恥ずかしくなった。

 とまあ、こんなどうでもいい話を日経のエッセイに書けてしまう、それも延々と1300字余りに面白おかしく書けてしまう才能に脱帽するしかない。

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