人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

方向音痴

自分が今いる方角が分からないのが、方向音痴

 土曜日の朝日新聞の連載『サザエさんをさがして』のテーマは方向音痴だった。長谷川町子さんの漫画では「方角音痴」と書かれており、波平さんが交番で目的地までの行き方を教えてもらう。だが、お巡りさんの説明の仕方が適切ではなかったらしく、波平さんはまた交番に戻ってきてしまうのだ。そう言えば、最近は自分のことを”方向音痴”だなあと嘆くことは滅多にない。それもそのはず、だいたいが知らないところに行かないから当たり前なのだ。何を隠そう私は自他ともに認める相当な方向音痴だ。

 そんな私も以前は地図さえあれば、”鬼に金棒”だと高をくくっていた節がある。地図がなければ、目が見えないのと同じで迷える子羊みたいなものだが、方向を確実に指し示してくれる地図があればどこでも行ける、そう思っていた。自信満々のはずだったが、残念なことにガイドブックやGoogleの地図には主要な道しか載ってはいない。実際は無数の脇道があったり、思ってもみないほど入り組んでいて、愕然としてしまうのだ。それに、地図と実際の場所とを照らし合わせてみたら、何と地図が明らかに間違っていることが分かって仰天したことがあった。

 では、方向音痴というのは、一体全体どうして起こるのか。空間情報科学の専門家によると、「方向感覚の良い人は、頭の中に2次元的で正確な地図(これを認知地図という)を描くことができ、自分が今どこにいて、どちらを向いているかわかる。それが難しいのが方向音痴の人」なのだそうだ。だがこれではどういうことなのかさっぱり分からないと思ったら、ちゃんと丁寧な説明が付け加えてあった。つまり、「方向音痴な人は”コンビニを右折し、2つ目の角を左折・・・”など1次元的な前後左右の連続で考えてしまう傾向があって、東西南北で言われると混乱する」のだ。

 う~ん、そう言えば私にも思い当たる節がある。右とか左とかという自分から見た方向には敏感なのだが、自分が今どちらの方角を向いているかどうかなんて考えたことはなかった。現在地における東西南北が分からないことは、居場所が分からないのと同様、実に心もとない。以前義姉のミチコさんと叔母と私と3人で浜松を訪れたことがあった。その時の私たちは浜松名物の鰻を食べようと店を捜していた。地図ではだいたいがその場所にあってしかるべきなのだが、肝心の店が見つからない。仕方なくスマホで店に電話をかけて場所を聞いたら、「今いる場所からすぐですよ。右の方向に歩いてください」と言われたが、さっぱり見つからない。するとミチコさんが地図を見ながら、「もっと西にあるはずだよ」と言うので、その言葉通りに歩いて行くとそこにちゃんと店があった。どうして!?と仰天した。

 こうなったらミチコさんに「なぜ方角がわかるの?」と質問せずにはいられない。どうやら、身体の中に磁石があるようで、絶対音感とかに似ている感覚なのだ。努力して身に着けたわけでもなく、なんとなく身体に備わっているのが、方向感覚というものらしい。そんな得体のしれない能力があっただなんて、その時初めて知った。方向感覚があるミチコさんと比べると、残念なことに私にはその手の能力が全くない。

 以前その不都合な真実をまざまざと思い知った経験をしたことがある。あれはスペインのバルセロナに行った時のことで、サグラダファミリアに歩いて行こうとしていた。地図を見ると、大通りを真っすぐに行けば目的地に着けるはずだった。それに少なからず楽観的な思い込みもあって、簡単に行けて、何の問題もないと思っていた。近くに行けば、サグラダファミリアのテレビのCMでお馴染みの尖塔が見えるだなんて想像していた。だが、実際は街中に立ち並ぶビル群に遮られて、あの雄大な姿には近づいても近づいてもお目にはかかれなかった。私はサグラダファミリアが大物ではなく、意外に”小物”だという真実を知ってがっくりきた。

 さらに、ショックだったことは、何たることか私は道に迷ってしまったのだ。なぜ真っすぐな道にも関わらず、迷ってしまうのか、それにはちゃんとした訳がある。バルセロナの街の交差点にはどこにでも植え込みがあって、街全体が緑に溢れていた。それが私が前へと進むのを妨げる原因となり、頭の中に東西南北がない私は否応なく翻弄された。例えば、横断歩道を向こう側に渡ろうとすると、目の前には植え込みがあって行けない。面倒でも左に少し進んでから前に進む必要があった。最初のうちこそ道路を真っすぐに進んでいたはずだが、信号待ちを繰り返しているうちに、自分がどちらを向いているのかわからなくなってしまった。それどころか自分がどこにいるかさえも分からない。そんなとき思った、もしも磁石でもあったなら方角がわかるのに、あるいは、もしもサグラダファミリアの尖塔がほんの少しでも見えたなら、それが目印になって夜空にそびえる北極星の役割をしてくれたのにと。

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