人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

検索しないということ

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スマホもPCもない場合、情報はどうやって?

 実家に住む兄嫁のミチコさんは携帯を持っているが、インターネットはしない。そもそも以前から検索機能を使おうなどとは考えたことがないのだ。そんなミチコさんもたまには都心に出かけて、お芝居や大好きな演歌歌手のコンサートに行くことがある。そんなとき、私ならPCで検索して最寄りの地下鉄の出口とか、会場付近の地図を印刷して出かける。そうしたほうが迷わなくて済むし、時間の節約になるからだ。私にとってはそれが普通でも、ミチコさんにとってはあり得ないことだ。だから現地に行って誰かに聞くのが当たり前になっていて、要するに人の親切心に頼ればすべて解決するのだという。

 ミチコさんにはいつも一緒に行く仲良しの友だちが二人いて、その人たちも携帯の検索機能は使わない。そうなるといつも誰かに頼り切って「私についてくれば大丈夫」と自信満々に言い出した人について行くことになる。でもたまにはとんでもない所に行きついて、その人の言っていたことが見当違いだったことに気づくこともある。たまにしか都会に出かけないおばさん3人は”珍道中”になることが多い。それでも険悪な雰囲気になることなく毎回なんだかんだと言い合っているのが楽しいようだ。

 ある日の午後、おばさん3人は歌手の山内恵介さんのコンサートに行くために地下街を歩いていた。だが出口がわからず右往左往してああでもないこうでもないと騒いでいた。そこへ若い女性が通りかかったので、これ幸いと尋ねたら、その人はスマホを取り出した。慣れた手つきで操作し、すぐに最寄りの出口を教えてくれた。ミチコさんが最近気になるのは、誰かに聞こうと思っても、駅員が誰もいないことが多いことだ。たぶん世の中はたいていのことは前もって調べてから現地に来るというのが大前提になっている。それに現地に来てからでもスマホでなんでも調べられるので人は必要ない、そんな途方もない考えが常識になりつつあるようだ。

 以前は知らない駅でもたいていのことは駅員に聞けば大丈夫だった。今は聞くべき相手はいないのでスマホだけが頼りだ。考えてみると、もう2年近くも外国へ出かけていない私は、現地でいつも見知らぬ他人を頼りにしていた。道を行き交う人々を眺め、呼び止めても怒られないような外見が優しそうな人、あるいは時間の余裕のありそうな人を観察して見分ける。

 声をかけても相手にされないこともあるが、それは自分の立場になってみたら、もっともなことだ。急いでいる時や、頭の中がある考えでいっぱいで他人のことなど考えられない時はなおさらそうだ。普通の人はだいたいそんなようなもので、それでも目の前の困っている人を見捨てない人はものすごく偉いと尊敬してしまう。果たして自分はそんな人になれるのか。以前もそんな場面に遭遇したことがあるが、「めんどくさい」のと「私でなくてもいいのに」というような無責任な思いに襲われる始末だった。でも大丈夫、世の中には親切な人がいるもので、諦めなければ人の親切にすがることができるのだと知った。

 これまで旅の途中で散々他人から恩を受けて来た。だから、それを自国に帰って返したいといつも思う。でもいざ日常生活に溶け込んでしまうと、たちまちそんな殊勝な思いも消滅する。人は自分勝手で自己中心的なので、ついつい初心を忘れて我儘人間にななる。自分の貴重な時間を見ず知らずの他人のため使うのが惜しいと思ってしまうのだ。とても心が狭い人間なのが恥ずかしい限りだ。子供の頃、母に”道は鼻の下にあり”とよく言われた。どう意味かと言うと、鼻の下にあるのは口なので、分からないことがあって困ったら人に聞けば解決するということらしい。躊躇せずに、恥ずかしがらずに勇気を出せば、道は開けると言いたかったのか。

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