人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

椅子に座れない!?

座るのに困る椅子、あれにはどんな意図が?

 昨日の朝日新聞の『ひととき』を読んだ瞬間、遥か昔の記憶が蘇った。それは某有名コーヒーチェーンの店で椅子に座るのに苦労?した思い出だった。投稿の記事のタイトルは”椅子に負けない”で、68歳で158cmの決して背が高いとは言えない初老の女性が戸惑いを赤裸々に告白していた。彼女が言いたいこと、その状況を経験済みの私にはよく理解できる。ただ、彼女の感じ方とは違って、当時の私には店側の戦略としか思えなかった。つまり客に長居をさせないように、”意地悪”をしているのではないかと誤解していた。

 投稿の主の方はビールが大好きで、家では発泡酒で我慢しているが、たまに外に出掛けたときはビールを楽しむことにしている。先日もある洋風居酒屋のような店に行って、「ひとりです」と店員さんに言ったら、カウンター席に案内された。ここまではなんてことないごく普通の流れだが、そこからがいつもの状況とは一線を画していた。当然のごとく椅子に座ろうとしたら、なかなか座れない!?あれ~一体どうなってるの?。お尻が椅子の上に乗せられないのだ。この店のカウンターの椅子は背もたれがないし、どう見ても普通よりかなり高くできていた。テーブルの下にあるステップに足を乗せて踏ん張って、それこそよじ登るような感じで何とか椅子に座ることができた。

 考えてみれば、ここの店は若者向けで、背が低い自分のようなおばさんが利用するにには不向きなのかもとの考えが一瞬頭をよぎった。椅子に座ってみてわかったのだが、何と椅子とテーブルの高さが同じで、そこからだと、なんだか天界から下界を見下ろすような気分になるから新鮮だった。特筆すべきは彼女が未知の店で「椅子に座れない」というショックを味わいながら、最大限のやせ我慢をしたことだ。「『椅子に座れないので、やめておきます』とは、格好が悪すぎて言えない」ので「胸、足、腹の筋肉にあらん限りの力を込めて」頑張った結果、見事成功したというわけだ。さらに、「お店に入るのに、椅子の高さを確認しなければならない日が来るとは思いもしなかった」と嘆いている。

 この方の目から鱗の体験はつい最近のことだが、私の場合はもうずいぶん前のことだ。いつものように近所に住む知人と立ち話をしていたら、高校生の娘さんの話題になって、その娘さんにしょっちゅうお小遣いを請求されると嘆いていた。最初は一体何のことやらわからないので、理由を尋ねてみた。すると、今の子は自分の家では試験勉強が気が散ってできない、なのでカフェでやろうとするからお金がかかるらしい。それに嘘のように集中できて勉強がはかどるのだと娘さんが言うのだから、反対もできない。事実、そのカフェの前を通りかかって中をチラッと覗いてみると、若者で溢れていた。もちろん、私も時々は利用していたが、ある日久しぶりに行って見たら、店内のレイアウトが変わっていたので面食らった。

 私が行くのはもっぱら朝の早い時間なので好きな席を選べるはずだった。だが、飲み物を買って席を探そうとして、仰天した。カウンター席も、テーブル席もすべてどう見ても高めにできていた。まるで身長180以上の人向けに作られているとしか思えない。一瞬座ることを躊躇したが座ろうと試みた、だが、敢え無く失敗、さすがに諦めかけたが、再び頑張ってみた。今度はよじ登るような無様な格好にはなったが、何とか座ることに成功した。その時の気分は山の頂上から、下界を見下ろすようで爽快だといいたいが、そうではなかった。座り心地が悪くて、なんだか緊張してきた。要するに落ち着かなくて、早く地上に降りたくて堪らなくなった。ゆっくりしたいとか、何かに集中したいとかの思惑とは正反対のシチュエーションに打ちのめされた。あの空間に身を置くことが苦しくて、急いでその場を立ち去った。

 今思うと、なんだかあれはひとつの現代アートのようなものだった。無機質な空間にスタイリッシュなカウンター、テーブルと椅子、まさにそれは眺めて楽しむものだった。

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