正当な評価を受けていないと感じたら、もう自由じゃない
以前新聞を何気なく見ていたら、英文の記事があって、そこにはある女性の写真が載せてありました。その人は看護師でイギリスの首相のボリス・ジョンソン氏を死の淵から救った女性でした。当時60歳の英首相がコロナに感染して、ICUに運び込まれたときに懸命に看病した看護師二人のうちのひとりでした。でも紙面に付けられていたタイトルは「英首相の看護師、病院を去る」でした。それを見たとき、私は何が何だか訳が分かりませんでした。なぜ社会から讃えられるべき人が病院をやめなければならないのか、どう考えても理解できなかったからです。
その記事には日本語訳がつけられていないので、拙い英語力で何とか訳してみました。それで彼女が「自分たち看護師は社会から正当な評価を受けていない、全く尊重されていない存在」と感じているのだと知りました。この記事には最後に短いコメントが添えられていて「こんな給料では、やってられない。つまり自分の命を危険にまで晒してする仕事ではないということか」と彼女の気持ちを代弁していました。
でも私はその時ものすごく違和感を抱いてしまいました。というより彼女の行動に衝撃を受けてしまったのです。それは私の頭のなかに自分なりの看護師のイメージがあって、彼らは別にお金のために仕事をしているのではないと思っていたからです。ナイチンゲールのような白衣の天使ではないとしても、あの職業の人たちは使命感に燃えて仕事をしているものだと決めつけていたのです。人に尽くして当たり前の職業で、いわゆる聖域に属する職業なのですから、お金がどうのこうのとこだわるのはナンセンスです。少しその手のドラマを見過ぎたせいかもしれませんが、世間での看護師のイメージは優しくて、人と接するのが好きで、人のお世話をして喜んでくれるのを生きがいに働いている人たちです。
よく考えてみると、看護師の女性は自分自身も死の恐怖で精魂尽き果てたのではないでしょうか。想像を絶するような緊張を強いられて、精神的にも肉体的にも追い詰められ居た状態から晴れて解放されたのです。そんな時何かご褒美が欲しいと思ったとしても、それは当然ではありませんか。看護師としての人を救ったという達成感だけで十分ではないのですか。そんな意見はごもっともですが、普通の人間なら何か欲しいのです。大きくはなくてもささやかでいいので、心をパアッと明るくしてくれる喜びが欲しいのです。もし彼女が自分の職業にもう少し何とかならないかという不満を一つでも持っていたなら、そしてそれがお金のことなら、ご褒美としての昇給は彼女を喜ばせるでしょう。きっと普段勤務している時はそんな取るに足らない不満は忘れて、あるいは打ち消して働いているはずです。
英首相の看護師というスポットライトを浴びたとき、何かが変わるのではと期待したのではないでしょうか。看護師という職業の待遇改善、つまり給料が上がって、もっと社会的に尊重されるようになるのではないかと。それなのに昇給率が1%にも満たないなんて、馬鹿にしている、政府は私たち看護師を正当に評価していないと激怒したのです。だからこそ、病院を去るのは政府に対する「抗議の辞職」だとみられています。社会に対するアピールで、さらなる看護師の地位向上のための、いわゆるパフォーマンスなのです。彼女が病院を辞めたからといっても、まさか看護師を辞めることはないでしょう。きっとこれからも看護師の地位向上のために何らかのかたちでで尽力し続けることを願ってやみません。
mikonacolon
FREENANCE ×はてなブログ 特別お題キャンペーン #フリーにはたらく