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「大秦帝国」に見る老王の死と形勢逆転

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楚王の悲惨な末路

 ドラマ「大秦帝国」」で秦の大王(エイショク)の詭計よって楚王は捕らえられました。「国には帰らない」と居座られたものの、このままにしてはおけません。かと言って、自分たちのやったことを吹聴されたら秦の国の威信に傷がつきます。この時代というのは信じられないほどやたらと世間体を気にするようです。されど、いざとなったら平気で卑劣な行為に及ぶので不可解ながらも面白いのです。

 お荷物でしかなくなった楚王を秦はどうやって追い出したのか、その方法とは?エイショクに嫁いでいた娘に手伝わせ、父をその気にさせて逃亡させたのです。楚の新王が病で危篤だと騙し、誰にも知られずにうまく脱出したかのように思わせたのです。秘密の逃亡なので馬車はボロボロでもちろん着ている物も粗末です。誰が見ても貧しい老人でしかありません、その老人が自分のことを楚王だと言っても誰が信じるでしょうか。しかも楚王は咳が止まらず病気でもうこの先長くないようです。慌てて自分の国に飛んで帰ったら、あろうことか入城を拒否されて?!仕方なく隣国に助けを求めました。しかし、彼らは噂に聞いていたので突然の楚王の訪問に困惑し相手にしなかったのです。それで楚王は魏の国に行くのですが、その時はもう危篤状態でした。

楚王の死を大義名分に秦を攻める

 「楚王に自分の国で死なれたら面倒なことになる」と魏の朝廷は困り果てていました。このまま見捨てるのは薄情なのではという部下に、秦に睨まれたらそれこそ終わりだと「現実を見よ」と諭していたのです。この頃ちょうど斉の丞相の田文が画策で訪れていて、彼の策に従って楚王を秦に送り返したのです。楚に約束させた200里の土地を口実に魏と韓との連合軍で秦を攻めようとしていた矢先でした。それで田文は楚王の死を大義名分として利用しようとしたのです。

 それに田文には秦に忘れらない怨恨があったのです。以前新王だったエイショクに熱望されて丞相として秦に招かれたことがありました。しかしその母と叔父の猛反発にあってもう少しのところで焼き殺されるところでした。命からがら何とか斉に逃げ帰った経験があったのです。

劣勢の秦の逆転の秘策とは

 さて、秦に戻って来てしまった楚王はすぐに息を引き取りました。それを合図に斉の田文は秦の要所である函谷関を連合軍で攻めてきました。いかに強国の秦であっても大軍で攻められたら窮地に陥ってしまいます。陥落はもはや時間の問題と思われたとき、秦の丞相はある秘策でもってこの危機を乗り切ったのです。その秘策とは斉に誘われて援軍している魏と韓に和議を持ちかけて自国を救おうとしたのです。しかし、優勢の敵軍がなぜ和議に応じなければならないのか、味方の誰も理解できません。

 丞相は明らかに劣勢でありながら、まるで優勢であるかのような余裕のある態度を取ったのです。函谷関を攻めている間にもわが軍は魏と韓に大軍を送っているのだと脅しました。実際にはそれは大風呂敷であり真っ赤なウソでした。両国にそれでもまだ戦う気があるのか、それとも和議に応じるのかと決断を迫ったのです。そう言われて困惑気味だった魏王が「このまま撤退となったら我が将兵の気が収まらないではないか、彼らは死力を尽くしたのだぞ」と嘆いた。無理もなかった、陥落するのは目前だったのだから撤退はあり得ない選択だった。

 ところが秦の丞相は国印と証書を取り出し、魏と韓にそれぞれ領地を返還すると宣言したのです。このような願ってもいない機会を両国とも逃すことはできませんでした。結局、函谷関から魏と韓は撤退し、斉も撤退を余儀なくされたのです。こうして誰にとっても不可能だと思われた作戦は成功したのですが、相手の心を読むことの大切さを痛感した話でした。

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