人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

献立考えるのをサボりたい

今週のお題「サボりたいこと」

玉ねぎが高騰で「サボりたい」に拍車が

 昨日のブログで食事作りをサボりたいと書いたが、適当にやり過ごしたい私にとって 不測の事態が起きた。それはスーパーに行ったら、いつも198円のネットに入った玉ねぎに358円の値札が付いていたからだ。少し前からなんだか変だと感じてはいた。どう見ても小さな玉ねぎが3つ入って298円!だなんて高い!とびっくりした。小さな発育不良みたいな玉ねぎがひとつ百円だなんて、とても信じられない。仕方がないので徒歩10分の反対方向にあるスーパーに行ってみるが、なんとそこの玉ねぎと書いてある棚はもぬけの殻でガラガラだった。

 昨日の新聞の『天声人語』を読んで仰天した。なんとスーパーに行ってみたら、玉ねぎがひとつ298円だったと書いてある。筆者は玉ねぎたっぷりのカレーを作ろうと思ったが値段の高さにショックを受けて断念した。さすがにひとつ298円の玉ねぎを買う気にはなれなかったらしい。急遽メニューを餃子に変更したそうだが、その気持ちは凄くよくわかる。考えてみると、今までキャベツが500円とか、レタスが400円とか玉ねぎ以外の野菜が天文学的に高くなったことはあった。だが、正直言ってそんなに打撃は受けなかった。それと言うのも比較的安い値段でいつも買える玉ねぎの存在があったからだ。玉ねぎは目立たないけど、縁の下の力持ちだったのだ。

 昔に比べれば、値段が高くはなってはいるが、どこの家庭にも玉ねぎは常備されているし、またいざという時に役に立ってくれる野菜だ。私の場合も、じゃがいもよりも玉ねぎで、おかずを作るのに欠かせない影の主役だった。玉ねぎは主役にはなれないが、無いとたちまち困ってしまう。カレーだって、玉ねぎをじっくり炒めたときのあの何とも言えない甘さがないと、ただの辛いだけの代物になってしまう。料理に美味しさを与えてくれる大事な存在なのだと、今更ながら気づく。それまでは玉ねぎには大変失礼な言い方だが、あって当たり前の存在で、まさか玉ねぎが現在のように高騰するだなんてことは夢にも思わなかった。

 私のたいして考えなくてもいい、ストレスのないメニューはだいたいが玉ねぎ頼みの献立だ。カレーに、シチューに、肉じゃが、肉豆腐、野菜炒めとどれも玉ねぎが必須の簡単料理だ。だが、今となっては、『天声人語』の筆者も嘆いていたが、なんだか、じゃなくて、明らかにメニューのレパートリーが狭まってきた感がある。コロナ禍での閉そく感に加えて、毎日食べる物にまでストレスがかかってくる事態となった。玉ねぎを長ネギで代用できないかと考えてもみたが、煮物は何とかなるが、他のメニューは無理だろう。

 あちこちスーパーを回って、やっと大きな新玉ねぎが二つ入って198円の値段の物を見つけた。まるで嘘のように安い!そのスーパー独自のお得なブランドなのだが、198円というのが信じられなくて、何度も値札を見てしまう。たくさん買い込みたい思いをじっとこらえて、とりあえずネットに入った玉ねぎを2個だけかごに入れる。土曜日でまだ朝早い時間なので、玉ねぎの棚の前に居るのは私一人だった。きっとそのうちにすぐに売り切れてしまうに違いない。以前はたかが玉ねぎと思って軽く見ていたが、今は貴重品のように感じざるを得ない。本当のことを言うと、レジで支払いをするときも、値段が間違いだったと言われるのではないかと内心ドキドキした。まさか、こんな気持ちにさせられるとは!これって、いわゆる”想定外の出来事”のうちのひとつだ。

 たかが玉ねぎひとつのことで、オロオロ、ジタバタと心乱れてみっともないが、生活に直結しているのだからしようがない。要するに、玉ねぎの有難みを痛感するときが今まさに訪れたのだ。新聞によると、玉ねぎで苦労する生活は秋まで続きそうだが、それ以降はいつも通りの値段に戻るそうだ。ちなみに、天声人語の筆者の叫びは『偉大なるタマネギよ、戻れわが献立に』だった。

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