人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ペーパーバックの持ち主

ふと街で見かけたその人は、片手に本を

 以前、銀行にお金をおろしに行った帰りに街中で気になる人を見かけた。私が見たのはその人の後ろ姿だったが、何か周りの人々と違う雰囲気を放っていた。色褪せたTシャツを着て短パンを穿いているその男性は足を引きずるようにして歩いていた。髪の毛は豊かだが、真っ白ではないしてもだいぶグレーが多い。どう見ても若くなく、それなりの年齢なのだとわかる。だが、私が気になったのはその人の外見ではなくて、その人が手に持っている物、それは本でかなり分厚い本だった。街の雑踏の中で、さも当然とばかりに、かなり自然に本を持ち歩いている人になんて、なかなかお目にかかれない。その人は身軽で、他には何も荷物を持っていなかった。

 Tシャツと短パンのラフな格好の老人と分厚い本が、私の頭の中でどうしても結びつかなかった。その人はこれからどこへ行こうとしているのか、あるいは本をどこかで読んでしまってもう帰る途中なのか、私の好奇心は止まらなかった。その人がいったいどんな人なのか、興味津々なのだが、その前に彼が手に持っている本が何なのか、どんな本なのかがどうしても知りたかった。それで、私は何気なくその人を追い抜くようにして近づき、通り過ぎる瞬間に本のタイトルを盗み見た。何たることか、それは意外にもアルファベットで書かれていて、たぶん英語だった。話に聞いたことがあるソフトカバーの本でペーパバックという類の本だった。この人は洋書を読んでいたのかと仰天したが、その理由はすぐにわかった。

 その人の横を通り過ぎた後、私は何気なく後ろを振り返ってみた。周りには大勢の人が歩いているので、私の行動なんて、雑踏に紛れて誰も気に掛けない。その状況を良いことに、私は彼の姿を正面から観察することにした。面と向かって他人を見ることはいくら何でも気が引けるので、遠くを見るような素振りで、チラッとその人の顔を見てみた。彼の顔を見た瞬間、すべての謎が解けた気がした。彼は誰が見ても、どう見ても日本人ではなく、外国人だった。なあ~んだ、それで洋書を持っているのかとようやく合点がいった。周りの皆が猫も杓子も皆、右ヘ倣へと携帯を持っている世の中にあって、”片手に本”は目立ちすぎるくらい目立っている。

 彼が外国人だとわかると、私の好奇心は満たされたようで、彼の後を追おうなんて気にはならなかった。彼がどんな生活をして居るのかは別にして、少なくとも彼にとって本は日常生活にとって不可欠な物らしいとの見当はつく。その点において、日本人とは一線を画しているのだ。日本人がテレビを見るような感覚で、外国人は本を読むのだろうか。そんなことを考えたのは、以前行ったことがある避暑地で見た光景を思い出したからだ。そこはコリウールという日本ではあまり知られていない港町で、色彩の魔術師と呼ばれたあのマチスもかつては滞在していた。フランスとスペインの国境に位置し、地中海沿岸にあるこの町は静かで過ごしやすい楽園だった。

 友達と私が泊まったホテルはエアコンもテレビもなかったが、ひとたび部屋を一歩出れば目の前に透明度抜群の海があった。ホテルのベランダにある朝食ルームの脇は朝瀬になっていたので、子供たちがや野生のウニを取って遊んでいた。泳ぎが苦手な私たちは彼らが海に潜って次々と獲物を取ってくるのを、歓声を上げて楽しんだ。そんな私たちの傍らで、ビキニ姿のマダムがシートに横たわっていつも本を読んでいた。その本がたぶんペーパーバックで、まるで本を読みに来たのだと言わんばかりだった。どうやらマダムはこの風光明媚な場所に泳ぎに来たのではなくて、ゆっくり本を読むために来たのは明らかだった。

 せっかく海辺に来たのに、なぜ本を読もうとするのか、私には分からない。たぶん日本人と外国人とのバカンスに対する考え方が違うのだ。それを証拠に、私が出会った人たちは、皆混みあった海水浴場でも本を読んでいて、各自自分の世界に埋没していた。

mikonacolon