人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

パリへの片思い

今週のお題「好きな街」

もっと滞在したい、でも経済的な壁が

 以前新聞のアンケートで「もしもコロナが終わったら、まず一番最初に行きたい場所はどこですか?」という質問があった。もちろん海外旅行の話なのだが、その中でも特に多かったのはヨーロッパで、イタリアやフランスの都市だった。ローマやフィレンツェ、パリなどをあげる人がほとんどなのだが、私の場合は何と言ってもやはりパリなのだ。中国ドラマが好きで、いつも見ているので北京の故宮に行きたいと思っている。だから中国語をBGMのように流して聞いている。でも本当はどうなのかというと、やはりパリに行きたい。考えてみると、パリは日本と比べて何もかもが高い、おまけに食べ物が合わなくて、ひもじい思いもする。スーパーの中を何周もするのに自分が食べられそうな物が見つからない。それにクロワッサンもショコラも食べ飽きて、もうパンの顔は見たくない。仕方なく嫌々食べると、なんだか砂をかんでいるような気がして虚しい。

 あんな惨めな気持ちになるくらいなら、行かなきゃいいのに行きたい気持ちは止められない。パリを嫌いになるどころか、年々その思いは強くなっている。相思相愛になれないことは分かっているのに、もうあんな何もかもが馬鹿高いところはこりごりだと何度も思っているのに、諦めきれない。つまり私はパリに片思いをしていた。そんな私も初めてパリに行った時はフランスパンのバゲットの美味しさに感激した。パリ東駅の近くにある安ホテルの朝食がそれだった。食堂で待っていたら、隣から何やらゾリゾリ、ゾリゾリというリズミカルな音が聞こえて来た。何を切っているのだろう、すぐにわかった。なぜなら香ばしい匂いが漂ってきたと思ったら、朝食のスライスしたパンとコーヒーが運ばれてきたからだ。パンの表面はカリカリなのに、中はふわっと柔らかくて、食べやすい。

 どこかで聞いたような理想的なパンを、まさかあの安ホテル、それも一泊6千円やそこらの値段で泊まれるところで、食べられるなどとは夢にも思わなかった。今まで沢山のホテルに泊ったが、あれ以上のパンに出会ったことはない。バゲットとコーヒーだけの簡素な朝食でも、それだけなのに立派なご馳走だった。宿泊料が高いからと期待したら、どう見ても2~3日は経っているだろう古くて固いパンを食べさせられたこともある。宿泊料と朝食のパンの質とは無関係なのだと痛感した出来事だった。おそらくあの安ホテルは、近所にあるパン屋で焼き立てのバゲットを買ってくると、すぐにナイフで切り分けて宿泊客に出していたのだろう。

 パリの魅力は何と言っても、街自体が大きな一つの美術館のようになっていることだ。ルーブル、オルセー、ブーランジェリー、その他数えきれないほどの美術館と観光名所があって、退屈する暇がない。初めて行った時は空港からバスでパリの中心まで移動し、バスの停車する駅の近くにあるホテルを予約した。でもその後はできるだけルーブル美術館に近づこうと、セーヌ河畔に近いカルチェラタンの賑やかな界隈の安ホテルに泊まった。そこから歩いてルーブルに行くためだった。セーヌ川を目印にすれば、パリの街は分かりやすく、迷子になることはなかった。それに異邦人にとっては見るもの聞くもすべてが物珍しく光り輝いていた。パリに今いるという高揚感でいっぱいで、物価高を忘れさせてくれるのに十分だった。

 旅行社でチケットを手配するときに、相談に乗ってくれた女性は開口一番「パリはお金がかかりますよ」と言った。聞けば、旅行でパリに行って帰って来たばかりで予想以上にお金を使ってしまったようだ。だがその顔はとても後悔している人のそれではなくて、当然のことと受け止めていた。パリは少し背伸びをするくらいの気持ちで行くのがちょうどいいらしい。自分の身の丈に合った旅行をと考えたら、とても一泊3万円以上もするホテルには泊まれない。でも自分にとってこれは必要な出費と考えたら、自分へのご褒美と視点を変えてとらえることができたら、十分納得がいくはずだ。

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