人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

パリに何しに行くのか

漠然としているが、写真が撮りたい

 ちょっとした思いつきから始まった、今回のパリ行きだが、さて何をしようか。特別などうしてもやりたいことがこれと言ってあるわけではない。ただ、4年ぶりに海外に行くことに意味があることは確かだし、以前とは感じる事もまた違うだろう。かつてはパリに行ったら、まずはルーブルやオルセーなどの有名美術館を見学するのが優先事項だったが、今回はそれほどの気持ちはない。それよりも、もっと街中のブテックのショウインドーを写真に撮りたいと思う。正直に言うと、ブログの写真をこれ以上使いまわしすることに嫌気がさしたのである。できる事なら、もっと斬新な、見たらドキドキするような写真が欲しいのだ。もっとも、デジカメで、しかも私のへたくそな撮り方で、満足のいく写真がとれるわけもないのだが、まあ、そこは自己満足で良しとしよう。

 それで、NHKのフランス語講座のテキストのグラビアに載っていた、クリュニー美術館やビクトル・ユゴー美術館に行こうと決めた。そのことが頭にあったので、ホテルの場所にこだわって、カルチェラタンに泊まろうとしたのだ。あの辺りはも20年ほど前に泊まったっきりの場所だった。まだ部屋に冷蔵庫も電気ポットも、いや、それどころかテレビさえもなかったが、部屋は広くベッドルームが二つもあった。たしか料金も安くて、7千円ほどだった。今から考えると、信じられない値段だった。4階建てで、エレベーターはなかったが、私たちの部屋は幸いにも2階だった。狭いロビーには、ソファが置かれて、そこでテレビを見ることができた。貧乏旅行だったから、それでも何の不満もなかったが、今から考えると、長い夜は退屈は避けられないだろう。テレビ、というか、ただぼんやりと眺めて,視覚だけで楽しめる娯楽は最低限必要だ。

 当時はホテルに着いたら、スーパーマーケットに水と食料を買いに行くのが必須事項だった。もっとも現地に到着するのは夜なので、店はどこも開いていなし、ましてや未知の場所を夜中に出歩くなんてことは怖くてできなかった。仕方がないので、空腹をチョコレートやスナックで紛らわす。それらは機内食についていたものを、とりあえず、貰っておいたもので、思っても見なかったが役に立った。旅行会話本を開くと、「この辺りにスーパーマーケットはありますか」というフレーズが載っているが、それを連発した記憶がある。現在のように炊飯器を持っていくことなど眼中にない、海外旅行初心者だったころの話だ。

 炊飯器でふと思ったのだが、最近はテレビはもちろん、新聞でもカンヌの話題で持ちきりだ。ある日の記事に「夜遅く、ホテルの部屋のドアを開けたら、知り合いの映画関係者から自炊のおにぎりの差し入れがあって、感激しました」と書かれていた。著者は映画プロデューサーで、憧れのカンヌに来てはみたものの、ホテルの料金は馬鹿高い。それに何より飲食店は満員で、食事にありつけない、そう嘆いていたら、何処にも救世主はいるもので、まさに地獄で仏だった。あんな美味しいおにぎりは今まで食べたことはないと綴っていた。考えてみると、部屋に炊飯器を持ち込んで、お米を炊くという行為は日本人ならではの行動で、究極のサバイバルなのである。

 日本で白米を炊いて食べることは普通のことだが、それが一転、場所が外国となると状況も感じ方も180度変わってくる。外国にあっては、炊き立てご飯は何よりのご馳走と言っても過言ではない。アツアツのご飯にふりかけをかけるだけで、満足できてしまえるのだから、不思議というしかない。さらに、汁物として、インスタントのわかめスープを付けると最高の食事になる。正直言って、あれは塩辛いだけの代物だと思っていたが、外国では美味しく感じられることが分かって仰天した。

 ”郷に入っては郷に従え”と言うのはもっともな話だが、パリにおいては当方はもうそれが限界に達していた。もう”パンの顔”は金輪際見たくなかったのだ。クロワッサンもショコラも食べ飽きた。いつも空港の手荷物検査でリュックサックから出さなければならないのを少し面倒だと感じるし、好奇の目にも晒されるが、それが何だと言うのだろう。そんなことは気にしなくていい。

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