人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

サボりながらも続けていたら

今週のお題「サボる」

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▲スペインのサグラダファミリア教会。NHKまいにちスペイン語テキストから。

聞いてみると、サボる理由はそれなりにあって

 「サボる」という言葉で思い出すのは、以前友人が娘について悩んでいたことです。当時友人は6歳の娘を保育園に預けて仕事をしていたのですが、とうとう卒園の日を迎えました。その卒園式の日に園長先生から「ぜひ保母さんになってください」と言われてしまいました。日頃から自分より小さい子たちの面倒をよく見ていて、優しいので人気があるのを先生はご存じだったのです。この保育園ではリトミックの時間があって、ホールで皆で輪になって、アンパンマン体操やミッキーマウスマーチなどのダンスをやっています。その様子をお迎えの時間にビデオで保護者に見せてくれるのですが、ある日友人は家では見せない娘の姿を発見したのです。元々踊りは大好きで、家でもよくダンスを踊って見せてくれていたのですが、そこに映っていたのは小さい子たちを並ばせたり、音楽が鳴っていても何もしない子の手を取って踊っている姿でした。

 3歳から保育園に通っていましたが、自分が先生になることなど考えもしませんでした。先生から面と向かって「保育園の先生になって!」と言われても困ったような顔しかできませんでした。普通なら元気よく「はい!」と答えるべきなのですがそんなことはできるはずはありません。でも先生に笑顔で「卒園おめでとう」と言われたら、なんだかそうなってもいいかなあと思ってしまいました。家に帰ると、娘は「保育園の先生になりたいから、今からピアノを習いたい」と言い出しました。友人は一瞬「この狭い家でどこにピアノを置いたらいいの?」と思いましたが、すぐにその言葉を飲み込みました。娘がせっかくやる気になっているのに、その芽を親が積んではいけないと考えたのです。

 だからピアノを何とかする方法を必死で捜してみました。そしたら世の中には手軽な値段で買えて、狭いスペースでも練習できるキーボードというものがある事を知りました。あとはどこに習いに行くかでしたが、当時はピアノを習う子が大勢いて道を歩いていれば、ピアノ教室という看板に出くわしたものでした。家から歩いて10分ほどのところにある住宅街で教えている先生の家に通うことになりました。最初のうちは親子で一緒に行って、娘がレッスンをしている間は友人は新聞を読みながら待っていました。

 学校が始まり、そのうちに娘は慣れたのか自分ひとりでピアノの先生の家に行くようになりました。当時はまだ学校も土曜日は半日授業があって、遠足や発表会やマラソン大会などの行事はすべて土曜日にやることが多かったのです。偶然にも娘のピアノの日は土曜日でした。そのせいか娘は自分でピアノを習うと決めたのにも関わらず、先生の家に行くのを嫌がりました。今日は疲れたとか、そんな気になれないとかグダグダ言い訳をし始めて、結局サボるのでした。友人は「子供だから、まあそんなものかあ」と最初は諦めていましたが、月に4回のところ1回しか行かない時もありました。

 それでも娘は「ピアノをやめる」とは決して言わないので、友人は「あの子は何を考えているんだか」と当惑するばかりでした。普通は「サボる」が重なれば当然面白くなくなるので「嫌になる」のは当たり前です。でも娘にはその理屈は通用せずに、ピアノが特に上達することもなく、かと言って普通の人よりは弾ける中途半端な人になりました。放っておいたら、サボりながらも中学の2年生まで先生の家に通いました。

 後になってその中途半端なピアノの腕前が役に立つときがやってきました。保育園のときに園長先生に言われた言葉だけは忘れなかったのです。いつしか保育士になることが天職だと考えるようになったので、保育専門学校に入学しました。入って驚いたのは、ほとんどの人がピアノが初心者だったことでした。それと皆は保育士になりたいのではなく、就職に有利だからただ資格を取りたいだけなのだとわかって二度びっくりしたのでした。

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