人生は旅

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ペットボトルのお茶が美味しすぎる

今週のお題「好きなお茶」

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マドリードにあるプラド美術館の内観。NHKまいにちスペイン語テキストから。

今の一押しのお茶は天保元年創業の「なだ方の日本茶

 毎日の早朝散歩のお供はペットボトルのお茶で、いちばん安い自動販売機で買っています。同じ商品なのに高いところは140円で、私が買うのは110円で最低価格です。「なだ方の日本茶」とラベルに書いてあるので、試しに買って飲んでみたら、適度な渋みと苦みがあって美味しかったのが始まりでした。このお茶は普通のスーパーに売っているお茶と飲み比べてみると、違いは歴然としています。スーパーのお茶が色を付けただけの茶色い水に感じてしまうのです。

 そもそも冷たいお茶がどうしてこんなに美味しく感じられるのか、それ自体不思議です。考えてみると、緑茶は本来熱いお湯で入れる飲み物でした。冷めて冷え切ってしまったお茶はお世辞にも美味しい飲み物ではありませんでした。アツアツのお茶はたとえ真夏であっても「美味しく感じられる飲み物」だったのです。暑い時は熱い飲み物を飲んだ方が身体にいいと言うのは誰もが言うことです。でも理屈ではわかっていても、身体が冷たい物を欲しがってどうしようもないのです。理性でもって我慢しているのですがついつい冷たい、それもギンギンに冷え切った飲み物に手が伸びてしまいます。

 街中にある自動販売機の誘惑に勝てずに、お金を入れてボタンを押してしまうのです。「たまにはいいか」が気が付けば、いつしか毎日になり、とうとう今日まで続いてしまいました。でも最近は朝晩めっきり涼しくなって、今朝も感じたのですが、冷たいお茶がさほど美味しくないのです。どうやら冷たいお茶のペットボトルとさよならする日が近いようです。秋風が吹いて冬の予感を感じたら、暖かいペットボトルのお茶よりも断然急須で入れる緑茶が恋しくなるからです。でも美味しい緑茶を楽しむのはそんなに簡単ではありません。一番の問題は茶葉で、人が美味しいと言っている茶葉を自分もそう感じられるとは限らないからです。

 ある時私は近所のスーパーに置いてあるお茶がどれも美味しいと感じられず、近所の人に不満を漏らしました。すると、その人は商店街にあるお茶専門店を教えてくれて、「あそこなら間違いなく美味しいよ」と太鼓判を押しました。ところが、期待して行ったのに、あれこれ試飲したのにも関わらず、どれもあまり美味しく感じられないのです。とりあえず、「これならまあいいか」と思った1600円の煎茶を買ってきて飲んでみました。適度な苦みも濃くもあるのに、なぜか素直に「美味しい!」と脳が認識してくれません。お茶はどこに出してもおかしくない有名な専門店の物なのに、となると私の舌がどうかなっているのではと悩みました。

 そんなとき、知り合いから出張のお土産にお茶を貰いました。静岡に行ってきたそうで、「これでも飲んでみるか」と試しに飲んでみたのです。そしたら驚きました、その美味しさに。黄色ではなく深い緑色、すっきりしているのに、味わい深いその味に魅了されてしまったのです。おそらく私だけでなく皆に配ったのでしょうから、そんなに値段も高くはないはずです。たぶん、このお茶はお客さんが来た時に出すものではなく、普段から飲んでいいお茶なのです。さすがお茶の産地、静岡ならではの話です。

 緑茶のペットボトルで一番仰天したのは、ウィーンのスーパーに行った時でした。飲み物のコーナーを眺めていたら、ラベルにグリーンティーと書いてあるものがありました。「緑茶がある!」と思わず声をあげ、外国でお茶のペットボトルを見つけて嬉しくなりました。早速飲んでみると、なんだか味が変です。甘い、どうやら砂糖入りのようで、一口飲んだら気持ちが悪くなってきました。緑茶に砂糖を入れるという発想はいったいどこから来るのだろうかと考えたら、子供の頃を思い出しました。近所のおじいさんが遊びに行くと必ずお抹茶を立てて出してくれました。子供たちには抹茶はそのままでは苦すぎると思ったのでしょう、少しだけ砂糖を入れてくれたのです。そのおかげで、抹茶が大好きになり、皆、「あそこの家に行くと抹茶が飲めるぞ」と楽しみにしていたのでした。

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