人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

以前の体力を取り戻す

今週のお題「今月の目標」

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▲扉口まわりに徹底的に装飾が施されているサン・パブロ教会堂。NHKまいにちスペイン語テキストから。

予想以上に体力が無くなったことを痛感して

 真っ向から否定したいのですが、つくづく体力が無くなったことを痛感します。昨日歩いて30分ほどのスーパーにお目当ての物を買いに行きました。その商品は近所の店では手に入らないのでどうしても行く必要があったのです。買いたい商品だけを買ってすぐに帰ってくればいいのに、気晴らしに広い店内を歩き回って無駄な時間?を過ごしました。すると、なんだか疲れてしまったのか帰りの道がきつく感じてしまったのです。たったこれだけに距離なのに、どうしたことかと情けないと言ったらありゃしない。まあ昨日は気温も高かったし、朝晩の気温差もあるから身体に応えているのだと自分を慰めようとするのですが、厳然たる事実には抗えません。このまま何もしなかったら自分はこの先どうなってしまうのだろうと危機感も湧いてきます。

 思えば自粛生活だから仕方ないと自分に言い聞かせて来たけれど、もう限界です。明らかに運動不足で以前とは比べ物にならないくらい体力がないのです。早朝の散歩の1時間では全然足りなくて、家の中の家事労働なんてお話にならないし、だいたい行動範囲が狭すぎます。家の中であまりにも座りすぎなのはわかっています。かと言って今まで座ってしていた仕事を立ったままやるのは落ち着きません。法政大学の学長の田中優子さんは「人間発見」というコラムの中で、座り仕事を立ち机でする取り組みを始めたそうです。最初は戸惑ってばかりでしたが、慣れてくるとパソコンで文書を打ったり、書き仕事をしたりが苦にならなくなったそうです。立ち机をネットで検索してみると、机に乗せて使う簡易式の物から本格的な机まで本当に様々な商品があります。それに本物の立ち机は思ったより値段が高いのに驚きました。

 田中さんほど行動力がない私はというと、そこまでする必要があるのかとグダグダしています。でも昨日の出来事で焦り始めたので、ウォーキングの時間を増やす、今の2倍にしようと決めました。早朝の散歩の距離を伸ばすのか、あるいは午後にまた歩くのか考えてみました。そしたら、朝のいいリズムを保つためには気分転換と称して午後にもう1回歩いたほうがいいと判断しました。考えてみると、自粛生活も1年半余りになります。自粛の縛りで仕方ないと諦めて、サボっていた?ツケが身体に溜まつています。テレビの街頭インタビューでレポーターが必ず聞く質問は「あなたはコロナが終わったら何をしたいですか?」です。ほとんどの人は「どこか遠くへ旅行に行きたい!」と心の叫びを露わにします。でも、たとえ行ける日が来たとしても、実際問題として体力が無かったら涙を呑んで諦めるしかないのです。また気持ちに任せて強行したとしても楽しい旅行はできないのですから。その点において体力はお金よりも大事な物かもしれません。

 私はコロナが流行する前の年に行った旅行で初めての挫折を味わいました。ロシアに一人で旅行したのですが、その時は仕事で少し問題を抱えていました。気分転換が目的で、大好きな国の空気を吸えば、心が満たされると信じて疑いませんでした。出発前からウキウキワクワクして、いつものように満足感一杯の楽しい旅行になるはずでした。「やはり行ってよかった」と思えるはずでした。それなのに、どうしたことか、街を歩き回ったら嘘のように疲れてしまいました。次へ行く気力が湧いてこないのです。言い訳なら山ほどあります、昔の良き日の面影がない街に幻滅だの、ほとんど1日中太陽が出ない雨模様の天気にうんざりなどなど・・・。それらすべてが私から体力を奪ってしまったのだとしか説明がつかないのです。よく病は気からと言いますが、私はすでに行く前から自分でも気が付かないうちに精神的にダメージを負っていたのでしょうか。それとも現地の環境のせいで自分でも愕然とするほど体力がなかったのか、今でも謎のままです。

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