人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

贈り物とポインセチア

f:id:mikonacolon:20201119125814j:plain

歓迎されない贈り物とは

 いつの間にか11月も後半に入って、そろそろ贈り物の季節がやって来ました。贈ってくれた方には大変申し訳ないのですが、貰って嬉しいものとそうでないものがあることは事実です。美術家の森村泰昌さんによれば、歓迎されない贈り物のことを、「いやげ物」と呼ぶそうです。旅行などに行った人から貰う土産物にひっかけてそう呼ぶことにしたようです。漢字にしたら「嫌気物」でしょうか。

 考えてみると、こちらの気も知らずに不躾に送られてくる宅急便での贈り物は「これで義理は果たした」と言わんばかりではありませんか。手紙が添えられているわけでもないし、社交辞令みたいなものなので「こんな習慣は要らないのでは?」と疑問に思うのは当然です。それで、お返しをしなかったら、相手はもう送ってこないのではと考えたのです。予想通りそれ以来、もう贈り物は届きませんでした。これでいいのです、失礼を承知で言うと、人から頂くものはお菓子でも何でも本当に嬉しいと思えるものはないからです。一度、文句を言ったら「人が贈ってくれるものにケチをつけるもんじゃない」などと怒られてしまったことがあります。

人を悩ます贈り物とは

 良かれと思って贈った物が相手を悩ませ、困らせてイライラさせてしまう。送り主はまさかそんなことになっているとは夢にも思わないのです。森村さんによると、テレビのワイドショーでは花束の贈り物を迷惑に感じる人が多いと話題になっていたと言うのです。意外です、映画でもドラマでも美しい花束を差し出されて嬉しくない人にはお目にかかったことがないからです。毎日の水を取り替えたり、枯れたら処分する手間がめんどうだと敬遠する人が増えているのです。どうせならお菓子の方が手間いらずでよっぽどいいと考える人が多いのでしょうか。たしかに花より団子と言いますが、緑があるのとないのとでは、部屋の雰囲気が全然違ったものになるのです。

 日本って自分から花屋で植物を買い求める人ってあまりいないと思うのです。毎日のように花屋の前を通って買い物に行くのですが、店先にお客さんを見かけることはめったにありません。母の日ですらカーネーションの鉢植えが売れないのですから。一方で、以前旅行したロシアの街角では、花束を抱えている人たちでいっぱいで驚きました。「どうしたの?今日は何かの記念日?」と聞いて回りたくなったほどです。よく見ると地下鉄の駅の前には必ず「花屋」の看板が出ているのです。「どうしてこんなに花屋があるの?」。街を行く人々が持っているのは、大きな花束もあれば、小さな花束もあります。それらは美しい花柄の紙袋に入れられて、街に彩りを与えてくれているのです。

ポインセチアを贈ったら

 「あれは育てるのが難しいのよね」。贈ってからしばらくたって、友人に遠回しに言われて初めて気づきました。きっと喜ばれると思ってプレゼントしたポインセチアが迷惑以外の何ものでもなかったことを。ある日何気なしに花屋の店先を覗いたら、可愛いポインセチアが目に留まり、できれば側に置きたいと思ってしまいました。ポインセチアと言っても、燃えるような赤、可愛いローズピンク、優しい色合いのサーモンピンクと様々です。葉っぱがまだら模様になっている珍しいものが気に入ったのですが、自分用に買えば何の問題もなかったのです。それなのに、自分の独りよがりの気持ちから、友人にポインセチアを贈ってしまいました。すっかり忘れていたのです、自分には「緑の手」の才がないことを。どちらかというと、いつも植物を枯らす方なのだということをケロリと。それにしても人への贈り物というのは実に悩ましいものです。

 私立中学の先生をしている知人などは、生徒の父兄から贈り物を貰うのに慣れっこになっています。お中元やお歳暮の時期になると玄関は贈り物で溢れんばかりになるそうです。でも彼女にとって一番嬉しい贈り物は何なのか、聞いてみたら、それはデパートの商品券でした。確かにかさ張らず、処分に困ることもなさそうです。

mikonacolon