人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

また個人経営の喫茶店が消えた

紅茶の美味しい喫茶店が閉店して

 先日、滅多に行かない地域に用があって行ったら、喫茶店がある建物の前で何人かの人が作業をしていた。どうやら看板を取り外した後の壁の汚れを取っているようだった。でも、たしかこの場所は昔からあった個人経営の喫茶店TUBAME(ツバメ)のはずだった。よく見てみると、ガラス張りの店の中はガランとして何もない。こうして改めて見ると、以前は全く気付かなかったが、奥行きがこんなにもあったのかと少しびっくりした。店のシンボルマークだったツバメのオブジェも洒落た看板も撤去されていた。要するに、喫茶店TUBAMEは営業を終了したのだ。

 たしかに人で溢れるような店ではなかったが、店の入口にはフィンランドヘルシンキやパリにでもあるようなテラス席が二つほど用意されていた。犬の散歩の途中に立ち寄った人や、ベビーカーを押す母親がそこで気分転換をするのにもってこいの場所だった。それでも外から店の中の様子を窺ったら、中には必ず誰かお客さんがいたものだ。私は試しに入ってみたときに、いつもは珈琲を飲むのに、その時は紅茶を注文した。当時はドトールの紅茶は200円程度だったが、ここのダージリンは700円で3倍以上の値段だった。高い!と内心思ったが、そんな紅茶がどれほどのものなのか興味津々だった。

 店員さんがダージリンを持ってきてくれた。茶葉の匂いが鼻先をくすぐり、カップに口を付ける前からもう美味しい予感がした。なんて深い味わいなのだろう、思わず、「美味しい」と言葉を発した私はとても幸福な気分を味わった。最後の一滴まで、大事に飲み干すと、カップの底には茶葉が少し残った。その茶葉が紅茶の美味しさを証明していてくれるようにも思えた。当然のことながら、ドトールの紅茶とは一線を画している。はっきり言って、あれは少しお湯に色が付いた程度のもので、それを紅茶だと思い込んでいたことに改めて気づかされた。そんな紅茶のなんともうやむやな味が嫌で、カフェラテばかり頼んでいたのも事実だった。

 TUBAMEの紅茶の味が忘れられなかったにもかかわらず、なかなかあの店に行く機会は訪れなかった。そうこうしているうちに、時は流れて先日のような信じられないような光景を見ることになったわけである。本当のことを言うと、まさかあの店が閉店するなんて思ってもみなかった。なぜならあの店があるビルは店のオーナーのもので、しかも2階と3階には学習塾や法律事務所などのテナントもあったからだ。最もそれは私の勘違いだったかもしれないが、そうでもなければとっくに潰れていたはずだ。チェーン店のコーヒーショップしかない地域にあって、TUBAMEのような喫茶店は十分存在する意味があった。毎日は無理だけれど、たまに行って美味しいコーヒーや紅茶を飲みたいときにそこにあって欲しい店だった。

 私の住んでいる周辺地域では、これでもうほとんどの個人経営の喫茶店は絶滅したと言っても過言ではない。だが、その一方で、私の実家がある田舎の喫茶店事情はどうやら違うようなのだ。喫茶店が昔からあって当然の土地柄のせいか、子供の頃に看板をよく見た喫茶店はすでになくても、次々と新しい店が出現していた。自分の家の1階を喫茶店に改造して営業している店もあって、特にモーニングのバリエーションに力を入れていた。普通はコーヒーが300円程度で、トーストや茹で卵、ピーナッツなどのおまけが付くが、それに加えて炊き込みご飯をサービスしようとしていた。この取り組みは他の店との差別化を図るのは十分だったようで、私が訪れた時は偶然地元のテレビ局が取材に来ていた。カメラを向けられて感想を求められ、滅茶苦茶戸惑ったが、仕方がないので思ったことをそのまま話した。

 だが、喫茶店と言うのは、地域によっては全然見つけられないこともあった。例えば、姉たちと浜松に旅行に行った時、浜名湖でロープ―ウェイに乗った。その帰りにお茶でもしようと喫茶店を探したが、見つからない。浜名湖周辺にホテルがあったので、そこのティールームにでも行こうとしたが、「温泉の入口はこちらです」の看板しか出ていない。あてどもなく3人で歩き回ったが喫茶店はおろか店など一切なかった。でもその代わり、飲み物の自動販売機がずらっと並んでいる休憩所みたいな場所があるのを見つけた。姉が諦めて「ここでジュースでも飲んで、休もう」と言ったので皆ベンチに腰を下ろした。歩き疲れて喉が渇いた私たちは、自動販売機のアイスを食べておしゃべりをして、喫茶店に入った気分に暫し浸った。

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