人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

市営住宅に引っ越す

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主婦の友社『イギリス、本物のくつろぎインテリアを訪ねて』から。

低所得者だけのものというイメージが吹っ飛んで

 都心に長く暮していた知人が引っ越しをすることになった。その引っ越し先が市営住宅と聞いて仰天した。予想通り、「ねえ、でもああいうとこって収入が低くないとダメなんじゃないの?」とか、「それに抽選もあって、滅多に当たらないんじゃない?」とか周りの人たちにさんざん言われたそうだ。知人の夫は昨年定年になったので、高齢者優遇の枠で応募したらしい。最初からたいして期待はしていなかったので、当選通知が届いた時は飛び上がって喜んだ。市営住宅に当たるなんて幸運は自分には無縁だとばかり思っていたからだ。

 知人夫婦は当時8万円の家賃の2kのアパートに住んでいたのだが、定年を過ぎたら収入が半分に落ち込んでしまった。彼らは知らなかったのだが、世の中ではこうなることは当たり前のことらしい。かくして手取りが20万円ほどになって家計をやりくりする妻は途方に暮れた。それでもなんとかやっていけたのは、市から支給される高齢者のための補助金が月3万円程度あったからと、個人年金の3万5千円のおかげだった。まだ若い頃にきっと年金だけでは足りなくなることを予想して、妻が郵便局の個人年金に入っておいたのだ。それでも30万円に満たないお金で8万円の家賃を払うのは大変だった。彼らは家計の見直しを迫られ、すぐに生命保険を半分ほどの支払いのタイプに変えた。

 それでも妻はこの先が不安だった。夫が仕事を辞めて年金暮らしになったら23万円程度のお金で生活しなければならない。個人年金が少しはあるとはいえ、とても安心できなかった。何よりも重荷になったのは8万円の家賃で、年金生活を脅かす最大の敵だった。このまま時が経てば、不安しかない年金生活に突入することは間違いない。何もしなければ窮地に追い込まれるのはわかりきっている。だから妻は行動に移すことにした。ダメもとで市営住宅の高齢者優遇枠に応募することにしたのだ。応募から2年ほど経った6月のある日幸運にも当選通知が届いた。

 市営住宅に応募してわかったのだが、ここでの「収入」というのは世間で思われているものとは少し違っている。知人も最初は応募要項をよく読まずにいたのだが、ある時真剣に読んでみた。すると市営住宅の応募資格に該当する収入は思ったよりもずうっと高くてもいいことに気づいた。源泉徴収票を見てみると、総収入の隣に控除後の金額というのが書かれている。市営住宅の収入欄にはその控除後の金額から100万円を引いた額を書けばいい。そう考えると、高齢者優遇の場合、たしか「収入」の上限が280万程度なので、手取りが30万円あっても応募する資格があるのだとわかる。

 知人から「市営住宅に住んでいる人は意外にも低所得者とは限らない」ことを聞かされた私は目から鱗だった。なぜなら、彼らは信じられないほどの低所得者だと誤解していたからだ。知人は市営住宅の昨年の5月の募集に応募して当選したのに、資格審査の通知が来たのは10月の終りだった。その間、こんなにも長い間うんともすんとも連絡がないのは「もしかしたら資格を取り消されたのか」とやきもきした。でも待つしかないので仕方なく待って、必要な書類を何通も用意して送ったのに今度は合格通知がなかなか来ない。次は合格通知がやっと来たのに今度は住宅の用意ができるまでまた待つことになった。そして年が明けて、ついこの間通知が来て、使用許可が下りて3月に入居できることになった。

 知人はこの間引っ越しをすることになっている市営住宅を散歩がてら見に行った。部屋の下見は1月下旬にならないとできないので、その前に少し回りを散策するためだった。入居することになっている部屋のある建物は12階建てで、外見はどう見てもマンシmョンにしか見えない。いつか遊びに行ったことのある団地の雰囲気とは程遠いものだった。部屋の前まで行ってみたが、人っ子一人いなくて、誰にも会わなかった。予想したような猥雑さは全くなく、ひっそりとしていた。建物は南向きで、訪れた日は太陽の光が燦燦と降り注いで暖かかった。ふと見ると、建物の前で高齢の女性が二人椅子に腰かけて日向ぼっこをしていた。二人は少し離れた場所に座り、顔をあげてどこかを見ていた。何かを見ているようなのだが、それが目の前の道路を挟んだところにある運動場で野球をしている若者たちを見ているのか、あるいはぼんやり物思いに耽っているだけなのかはわからない。

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