人生は旅

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唐茄子屋政談

”情けは人のためならず”を実感するいい話

 昨日新聞の文芸欄を読んでいたら、歌舞伎の話題が載っていた。タイトルが『平成中村座宮藤官九郎』だったので、宮藤さんのラジオの番組を聞いて親近感を持っていた私は「あれ~!?」となった。あの歌舞伎と宮藤さんは私の頭の中ではどうしても結びつかった。どうやら宮藤さんが歌舞伎の脚本、演出をするらしい。ここでの歌舞伎は東京・浅草にある浅草寺で4年ぶりに幕を開ける「平成中村座」のことで、18代中村勘三郎が立ち上げたものだ。それは江戸時代の芝居小屋の復活を掲げたもので、普段歌舞伎座で演じられる舞台とは意味合いが違うものらしい。

 宮藤さんが手掛ける新作歌舞伎の演目は『唐茄子屋~不思議国の若旦那』。浅草を舞台にした古典落語「唐茄子屋政談」を下敷きに、英国の小説「不思議の国のアリス」の要素を織り交ぜて書き下ろしたと言う。そうか、キャロルの不思議の国のアリスなら子供の頃読んだことがあった。もう遥か昔のことなので、うっすらとしか覚えていない。たしか、アリスが夢の中でドキドキ、ワクワクの冒険をして、最後はベッドで目を覚まして物語は終わる。

 だが、落語の「唐茄子屋政談」のことはさっぱり分からない。だいたい「唐茄子」っていったい何?と疑問に思って調べてみたら、ナスのはずが実はかぼちゃのことだった。親切にも落語の「唐茄子屋政談」について説明が載ってはいるが、長々としたあらすじがイマイチ頭に入ってこない。それもそのはず、落語は噺家が語ってこそ、話が生き生きと面白おかしくなるのだから。何回も解説文を読んではみるが、無味乾燥で、どこが面白いのか分からない。

 それで、YouTubeで落語を、古今亭志ん朝さんの『唐茄子屋政談』を聞いてみることにした。かかる時間を見てびっくり、何と48分にも及ぶ長い話だった。初めのうちは退屈して、眠くなるのではないかと心配だったが、それは杞憂に終わった。冒頭から志ん朝さんは、お客様からよく言われることがあると話し出した。それは噺家はそんなに長い間喋りっぱなしで、よく気持ちが悪くならないねえと驚かれるとのこと。そして、具合が悪くならないかと心配すると、こっちの方までなんだか身体に悪い気がするという暖かい落語ファンの切なる声。

 この問題については志ん朝さんは私共は全然何ともない、それどころか一層気分がよくなる。だからそんな心配は無用だと一蹴した。機関銃のように息つく間もなく、話が勢いよくコロコロと転がって行く様に圧倒される。時に声色を変えて、身振り手振りを交えて語られる話は退屈する暇を与えない。ずうっと喋りっぱなし、変な話だが、このまま放って置いて大丈夫なのかと心配になるほどだ。

 さて、唐茄子屋政談はと言うと、この話の主人公はお金持ちのボンボンの若旦那。世間知らずの若旦那が吉原の花魁に夢中になる。「もしもの時は私が面倒見るから安心して」などという甘い言葉を真に受けて、家に帰らなくなった。そうなったら、慌てて店の女将が若旦那を説得し、家に帰らせる。親戚中に責められた若旦那は勘当となり、行く当ても頼るところも無くなった。あてどなく町を彷徨い、もう3日も何も食べていなかった。吾妻橋のたもとに差し掛かった時、若旦那は何を思ったのか、欄干に手を伸ばし飛び降りようとした。その時誰かが「バカなことはするもんじゃない!」と一喝して止めてくれた。それは偶然にも親戚のおじさんで、「死ぬ気になれば、なんだってできる」と励まされた。そこで、若旦那はあくる日から、天秤を担いで、唐茄子を売り歩くことになった。

 だが、なにぶん若旦那は痩せていて、生まれてから重いものなど持ったことがない。担いで歩くだけでもやっとでふらふらしていた。それに商売っ気がまるでないので誰もお客が寄ってこない。その姿を見るに見かねたのか、見知らぬ心ある人が、道行く知り合いに声をかけて売りさばいてくれた。「とにかくこの人の荷を少しでも軽くしてあげようじゃないか」と頼むと皆快く買ってくれる。おかげで若旦那の唐茄子は残り僅かに2個になった。その後、この2個の唐茄子のことで、ある事件が起きるのだが、それも市井の人々の優しさで丸く収まって「おあとがよろしいようで・・・」となるのだ。

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