人生は旅

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リアル書店の明日

今週のお題「575」

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忘れてた 本屋は本を 買うところ

 先日の朝日新聞の「声」欄の投書を読んで、大手の某出版社が自社の文庫本をすべてビニール掛けすることにしたと知りました。 投書の主はその決断に非常に残念だと嘆き、と同時に「これではネット書店とたいして変わりない」ではないかと憤慨しているのです。つまり、本屋に行くという一つの楽しみを奪われてしまったと言いたいのです。本好きにとって、いいえ、たいして好きでもない人にとっても、本屋は楽しい所で時間を潰せるところです。普通、「本屋に行く」というと、本を買いに行くのはなくて、立ち読みをしに行くという意味です。少なくとも、私にとってはそうなのですが、たまに気が向くと2~3冊買ってしまいます。好き勝手に店の本を手に取って、ペラペラと触りまくっても何も言われない、なんと自由なところなのでしょう。本を読んでいて、つい熱中するとあっという間に時間が経ってしまいます。そうなると、店員さんが棚を整理整頓する振りをして近づいてきて、「いい加減にしてください」と言う態度で私の暴走を止めてくれます。もっと続きを読みたいのですが、きっぱり諦めてその場を去るか、あるいは本を買うかの選択を迫られます。そんなときは大抵は後ろめたさもあって、いつだって、さっとその場から逃げ出してしまうのでした。

 投書の主の方は「ビニールで本に封をしたら、内容がわからない」ので本が選べないので困ってしまうと言いたいのです。本屋は本を買うだけでなく、あれやこれやと手に取って内容を確認して、自分の好みの本を選べる場所であったはずです。それなのに、本のタイトルだけで、本の内容を想像するだけで選ばなければならないのです。自分の判断が当たりなのか、あるいは、はずれなのかは後は家に帰ってからのお楽しみ?です。すべて自己責任なので、財布の中身とも相談しなければなりません。でも一番痛いのは「この本を買うんじゃなかった!」と後悔してしまうことです。いずれにしても、本を自由に選ぶこともできなくなった不自由な世の中、というか、これで本屋の存在する意味があるのか、といったことを考えさせられます。

 私はというと、どちらかというと立ち読み派で投書を読んで真面目な方だなあと感心してしまいました。そこで、一句詠みます、忘れてた 本屋は本を 買うところ

 以前通っていた大型書店が閉店してしまったのは、絶対自分のせいだと疑わないほどに、立ち読み魔だった私にも本は買って読むものと思っていた時期がありました。毎月2万円ほど地元の書店に注文していました。本を選ぶ際には新聞の広告だけが頼りでした。タイトルや宣伝文句から自分勝手に想像して、本の内容をああだこうだと決めつけていました。ところが、実際に実物を読んでみると自分の思っていた内容とは天と地ほどかけ離れていたのです。ひとりよがりで浅はかで思慮が足りないと言えば、それまでですが、明らかに失敗ばかりでした。それ以来、タイトルや宣伝文句に釣られて本を買うことは無くなりました。本を買う際には、必ず中身を確かめるようになりました。

 それがきっかけで自然と立ち読みをするようになりました。千円以内で買える新書などはページの字数がたいしてないので、その場で読めてしまいます。長編の小説などは無理なので、どうしても続きが気になるのなら迷うことなく買っていました。たまに、書店で読んだのに、どうしても自分の手元に置いておきたい本に巡り合うことがあります。何度読んでも飽きなくて、読むたびに発見がある、そんな本に出会えたことは幸福というしかありません。ところが、休みの日は本の森を彷徨って過ごしていた私の生活にも変化が起こりました。コロナウイルスによる感染症が流行して、街中をふらふらしているわけにもいかなくなったのです。そうなると、読む本を選ぶのにもそれなりの工夫が必要になります。それで、新聞の書評や『目利きが選ぶ一冊』と言ったコラムを熱心に読むことになります。特に★の数で評価されているとわかりやすくて助かります。でも注意しなければならないのは選者の人の嗜好が自分と同じがどうかということです。それでも、新聞2紙で高い評価の本はたいてい買って正解で、満足のいくものでした。やはり、どう考えてもリアル書店は必要で、ネット書店しかない世界はまるでSF小説のようで現実味が感じられません。

mikonacolon