人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

赤の広場に立ったあの日

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

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クレムリンの尖塔を見ながら、涙したその訳とは

 私が初めてロシアに行ったのは2008年の夏でした。当時の地球の歩き方のガイドブックにはモスクワにあるシェレメチェボ空港は最低最悪の空港だと書いてあったので、そこを避けることにしました。それでサンクトペテルブルクを目指すことにして、フィンランドヘルシンキから行くことにしました。今から思えば飛行機で行けばいいのですが、私が選択したのはフェリーでエストニアのタリンまで行って、それからバスで8時間かけてサンクトペテルブルクまで行く方法でした。なぜかというと、その頃短距離を飛ぶ飛行機がよく墜落するというニュースを耳にしていたからです。もし墜落したらどうしようと心配で恐ろしくて、時間はかかっても確実な陸路を選んだのでした。ヘルシンキとタリンは目と鼻の先でフェリーはすぐに港に着きました。ただ、その前に私を絶望の底に突き落とすハプニングが起こったのです。それはフェリーのチケット売り場のお姉さんがチェックインに来た私に向かって、「フェリーは出港しません」と真面目な顔で言ったことでした。その言葉を聞いて私が途方に暮れていると、すぐにニッコリ笑ってOK!と言ったので、「何なのこの人は!」と開いた口が塞がりませんでした。

 冷や汗をかきながらも何とかフェリーに乗り込んで、タリンの港に着きました。すぐにタリン国鉄の駅を目指して歩きました。当時はネットでチケットが買えないので直接駅の窓口で買うしかありません。それでロシアの鉄道の切符もタリンで買えるのだと知って早い方がいいと、1週間後のサンクトペテルブルグからモスクワまでのチケットを買うことにしたのでした。窓口に行ったら予想以上に時間がかかってしまいました。あらかじめ調べておいた列車はもう売り切れだったからです。時刻表に載っている列車の番号を次々に指さして買おうとするのにどれもダメだと言われてしまいます。そのうち私の後ろに並んでいる人たちが騒がしくなってきました。幸運にも私には彼らが何を言っているのかさっぱりわかりません。チケットを買えなければ死ぬぐらいの気持ちで必死で、彼らを気にする余裕はありませんでした。何とかチケットが買えた私はホッとして天にも昇る気持ちなのですが、周りには私を非難するような目で見たり、あきれ顔の人たちが大勢いたはずです。

 タリンからサンクトペテルブルクにバスで着いた私は、降りた途端バス停を間違えてしまったことに気づきました。バス停のすぐ近くにあるはずの地下鉄の駅が見つからなかったからです。どうやら一つ手前のバス停で降りてしまったようです。ガイドブックに載っていた小さな地図を頼りに延々と続く運河沿いを歩きました。20分ほど歩いたらふと不安になって誰かに聞いてみようと思いました。最初の人には全く相手にされませんでしたが、次に声をかけた中年の女性は信じられないほど親切でした。地下鉄の駅まで連れて行ってくれて、地下鉄に乗るのを躊躇していた私の背中を押してくれました。「大丈夫だから、行きなさい」と私に手を振ってくれました。

 不安だらけで乗り込んだ車内で隣に立っている男性に自分の降りる駅について尋ねてみました。すると男性はこの電車で間違いないから心配しなくていいからと励ましてくれました。考えてみると、ここまで十分ハプニングだらけなのですが、列車でモスクワに着いたらさらなるトラブルが待ち受けているとは夢にも思いませんでした。そのトラブルとは、ホテルの予約ができていなかったのです。つまり自動配信のメールを受け取っただけで、予約確認をしなかったからでした。おまけにホテル、その時はユースホステルでしたが、その住所も全く別のところでした。列車で着いた時はもう夕方で自分一人では捜せなくて、犬の散歩をしていたご夫婦に助けられてやっとホテルにたどり着きました。それなのに、レセプションでは「あなたの予約したのはうちのホテルではありません」などと冷たいことを言われました。

 ついに絶対絶命か!と思ってその場に座り込んでしまいました。そしたらホテルの人が「うちでいいならここに泊まっていいよ」と助け船を出してくれたのです。戸惑っている私に「何も心配することないから、安心しなさい」と言ってくれます。正直言ってヨーロッパであればこんな展開にはならないはずです。断られたら、すごすごと退散しするしかないし、あるいは放って置かれるかのどちらかだと見当は付きます。とにかく幸運に恵まれた私は見知らぬ土地で一晩の休息を得られたのでした。そんな私が真っ先に行ったのはクレムリンで、世界史の教科書でしか見たことがなかった赤の広場に立っていました。すべてのことは目の前にあるこの景色を見るためにあったのだと実感したのです。「この美しい光景を見られてよかった」そう思ったら涙がこぼれてきました。もちろん、それはうれし涙でした。

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