人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

令和なコトバ、デッド飲み

知らなくてもいい、でも宇宙人の言葉みたいで面白い

  日本経済新聞の夕刊に連載されている記事に『令和なコトバ』というタイトルのコラムがある。その内容はと言うと、今風の若者の間で使われている“映える”言葉というか、好んで使われている最新のコトバを懇切丁寧に説明してくれているのだ。当方のようなおばさんにしてみれば、何でそうなるの?と言いたいようなへんてこなネーミングに思わず笑ってしまう。Z世代と呼ばれるような若い子の感覚は到底理解しがたいが、共感はできなくても、考えた方のズレを面白がることはできる。

 このコラムを読んで、いつも「ふ~ん、こんなことを考えてるのねえ」と若者の考え方のクセに驚かされる。いったいどこから、どんな発想でそうなったの?と知らなくてもいいのに、おばさんは無理矢理に理解しようとする。つまり、それまではタイトルをみただけで、飛ばし読みをしていたのに、何たることか、現在ではコラムを真面目にじっくりと読んでいるではないか。今どきの若者と接する機会など皆無なのに、役にも立たないのに、知は力なりとばかりに情報収集に余念がない。

 先日の『令和なコトバ』のタイトルは”デッド飲み”だった。こんな言葉を聞いても訳が分からない。デッドって一体何なんだ?種明かしをすると、デッド飲みと言うのは、ラーメンのスープを飲むときに、レンゲではなくて、そのまま直接丼に口をつけて飲むこと。そのことをなぜかデッド飲みと呼ぶそうだ。英語で書くと、デッドはDEADで、死を意味するが、ここでは「直接」という意味で使われている。ゴルフで直接ピンを狙う時「デッドで狙う」というが、そっちの意味でのデッドだ。

 そうか、元々はラーメン業界で使われるコトバだったか、でも私はラーメン屋には滅多に行かないから、関係ないかと一瞬思った。だがコラムの著者は最近このデッド飲みという言葉を街のカフェで耳にしたそうだ。休憩中の会社員二人組がストローを忘れて、ガラスのコップに入ったアイスコーヒーを席まで持ってきてしまった。その時後輩らしき男性がストローを取りに行こうとした。すると、先輩は「いや、必要ない。デッド飲みするから」と答えて、直接グラスに口をつけて一気にアイスコーヒーを飲んでしまったのだ。

 なぜ、ストローをわざわざカウンターまで取りに行かなければならないか。答えは明白で店の人が飲み物と一緒にストローをくれなくなったからだ。以前はちゃんと貰えたのに、最近はプラ削減とかで、積極的にはストローを提供しない方針に変わったのだ。思えば、私にも経験がある。カウンターでアイスカフェラテを受け取り、席について飲もうとしたら何かが変だった。いつもあるストローがなかった。店員さん、忘れてる!本当はそうではないのだが。すぐにカウンターに取りに行ったら、砂糖やミルクと一緒に置いてあった。なあ~んだ、あるんじゃない、それが私の心の中で叫んだ言葉だが、ストローをまるでおまけみたいに置いている店の意図に気が付きもしなかった。

 店側はできれば使わないで欲しいのだ。その店は基本的に持ち帰り以外では紙コップもプラ容器も使っていない。飲み物はすべて、陶器かガラスのコップで提供されている。また別の日に店の前にテラス席があるそのカフェを利用する機会があった。いつものようにアイスカフェラテを注文したが、今度は敢えてストローを取りに行こうとはしなかった。だが、周りの人目を気にしてか、直接グラスに口をつけて飲むことにためらいがあった。なぜかと言うと、皆飲み物をストローで飲んでいたからだ。あの人、変な人!と思われやしないかと一瞬思ったからだが、少し様子を見ていたら、誰も私のことになど関心がないようだ。ある人たちは自分たちの話に夢中になっていたし、一人客は皆自分の世界に浸っていた。

 誰も私のことなど構っちゃいない、そう思ったら気が楽になった。私は堂々とグラスに口をつけてアイスカフェラテを飲んだ。ストローなんてなくても全然問題ない。ただ、これが,このことが”デッド飲み”と言うのは初耳だった。

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