人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

ロバート・マックロスキーの絵本

今週のお題「下書き供養」

 ブログの下書きなんてあったっけと思ったら、ありました。去年の11月ごろ絵本に嵌っていた頃「これは面白い」とその発想力に感心して、書きかけた記事が。でもその時は気持ちばかりが高ぶって、集中力が全く続かず敢え無くリタイアです。誰かにこの思いを伝えたいのに、感情移入ができなくて、「今はダメだからまた後で」と諦めたのです。そして世間で言われているように「また後で」は永遠に来ないはずでしたが、幸か不幸かその機会がやってきました。以下は今まで放置されてきた、日の目を見ない運命だったはずの下書きです。

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▲大型絵本「沖釣り漁師のバート・ダウじいさん」の表紙

漁師を引退しても楽しく生活?

 このロバート・マックロスキーの絵本「沖釣り漁師のバート・ダウじいさん」の中に出て来るじいさんは寂しく惨めな生活を送っているわけではないのです。過ぎた日の栄光をよすがに生きているわけでもなく、かつては活躍した船をあろうことか花壇にして花を植えているのです。じいさんは2艘の船のうちの一つにスイトピーやゼラニュームを咲かせて楽しんでいるのです。もう一つの船もあちこちガタが来ているので、板切れを打ち付けたりして水漏れを治し、機嫌を覗いながら使っているのです。調子のあまり良くない船の名前は「潮まかせ」と言います。じいさんは潮まかせのことが自慢で、沖に出るときはみんながじいさんに気づくほど独特の音を立ててその船は出ていくのです。その船の色がまた年寄りくさくない、なんとピンクと緑の縞々です。少し色が派手にも思うのですが明るくていいではないですか。じいさんの服装も赤の縞模様のTシャツに黄色のサスペンダーのズボンで、年寄り臭さを感じさせません。

釣り糸にクジラが掛かって大変なことに

 じいさんがオンボロな船で沖に出て、久しぶりに釣りをしようとしたら

 

 さて、それからどうなったかと言うと、じいさんの放った釣り針がなんとクジラの尾びれに引っ掛かってしまったのです。たまたまその日はクジラが海の散歩を悠々と楽しんでいました。ところが運悪くじいさんと出くわして、尾びれにケガをしてしまったのです。このじいさんは、よくスタインベックの「老人と海」の頑固一徹の孤独な老人とj比較されるそうですが、天と地くらい性格が違います。じいさんはかつての栄光、つまりじいさんなりの漁師の誇りを一切捨てて、そんなものは何の役にも立たないと思っています。これからの日々を楽しく生きることしか考えていないので、クジラにけがをさせてしまったこと申し訳なく思いました。それで、じいさんは自分のポケットからバンソウコウを取り出してクジラの尾びれに貼ってあげたのです。そのバンソウコウの色はピンクで、しかも水玉の包み紙のキャンディーの絵が付いているやつでした。クジラはそのバンソウコウがたいそう気に入ったのか、尾びれを何度も振って喜んでいます。

 するとどこからともなくクジラたちが集まってきて、豪快に潮を吹き始めました。そしてじいさんに何かをして欲しいとばかりに一斉に尾びれを振っています。最初のうちじいさんはクジラの大群に囲まれて、何が何だかわかりませんでしたが、そのうち気づいたのです。彼らも尾びれにバンソウコウを貼ってほしいのだと。心優しいじいさんは自分の持っているありったけのバンソウコウを彼らにつけてあげました。クジラたちが可愛いバンソウコウを付けた絵があればいいのにと今更ながら思います。古本屋で見つけたときに「また今度」と言って別れたっきりで、あとで再会しようとしたらすでに売り切れていました。それで公立図書館に行って借りてきてまた読み直しました。その時撮ったクジラたちが潮吹きをしている、ダイナミックでかつユーモラスな絵を載せておきます。

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 ロバート・マックロスキーの絵は自然の雄大さや動物の特徴をよく捉えていると感心します。彼の絵のセンスは彼自身の生活スタイルから来ているのではないかとも思うのです。暖かい季節は米国のメーン州の入り江にある小さな島で暮らし、冬になったら南の島へというような凡人には羨ましいような生活を送っているからです。彼の本「海辺の朝」にも夏が終わつて、「さあ、荷造りしよう。ここを去る時が来た」と家族で旅たちの用意をする場面が出てきます。都会のコンクリートとは無縁である点においても、他の絵本作家とは一線を画しているのです。

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