人生は旅

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太巻きの思い出

今週のお題「寿司」

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▲文春文庫「ベストオブ寿司」から。

スーパーに行くのが楽しみだった海鮮巻き

 寿司というと、真っ先に思い浮かべるのは握り寿司ですが、太巻きだって美味しいものはあります。稲荷ずしとセットになっている卵焼きとキュウリとでんぶの普通の太巻きではなく、海鮮巻きのことです。それも具材にこだわった高級品でなくて、スーパーの惣菜売り場に並べてあるものでいいのです。安くて、美味しくて、気軽に買える、そんな海鮮巻きが大好きでした。その海鮮巻きが置いてあるスーパーはときどき買い物に行く都心にありました。誰でも名前を知っているその店はポイントカードもなく、イートインコーナーもありませんでした。ただ素材の良さと値段の安さが魅力だったのです。マグロとサーモンとイクラの海鮮巻き、4個で298円、これを買って帰って食べるのが至福の時間でした。他にもカニカマとレタスをマヨネーズで和えたサラダ巻きやサーモン尽くしの寿司もあるのですが、海鮮巻きが一番でした。口に入れたときのトロッとしたあの感触が溜まらなくて、あの美味しさを298円で味わえるのです。どう考えたって運がいいというか、幸運というしかないと思っていました。

 家の近くのスーパーでも様々な具材の太巻きを売っていて、試しに買ってみたことはあるのですが値段の割には美味しくありません。太巻きと言えば、最近は節分の日の主役です。豪華な具材の太巻きが入ったパックがケースに山積みになっている光景が目に浮かんできます。1巻で500円以上もする高級太巻きで、その年の方角の方を向いてかぶりつくと、無病息災で過ごせると言います。子供の頃そんな習慣は聞いたことがなくて、恵方巻と言うのだと初めて知りました。皆が皆買うのだろうかと様子を覗っていたら、たいして興味を示す人はいないのだとわかりました。普通の人が買うのはどうやら節分の豆ぐらいのようです。

 いつだったか、いつものように海鮮巻きを買って帰ろうとしていたら、偶然知り合いの女性に会ったことがありました。仕事の帰りでスーパーに寄ったと聞いて驚きました。たしか家の近くの郵便局でパートをしていたはずです。話を聞いてみると、いろいろと事情があって仕事を辞めたのだと知りました。今は同じ通りにある近くのスーパーで働いています。今までしていた事務系の仕事と違って立ち仕事だし、重い荷物を運ぶときもあります。「でも、なぜこんな遠くで働くの?」と自然な疑問をぶつけてみました。彼女の答えは近くで捜したけど適当なところがなかったからで、今のスーパーは働いてまだひと月しか経っていないのです。

 それから彼女は「あなたの歩いている姿、バスから見えたよ」と言いました。ありゃ、自分が誰かに見られているだなんて、考えてもみなかった私は少し気恥ずかしくなりました。自分が無防備に歩いている姿は他人にどう見えたのだろうか、と想像したら、自意識過剰でどうにかなってしまいそうです。それで、自分の心の平安を守るために「そんなことはどうでもいいか」と考えるのをやめました。それに彼女は嫌いではないけれど、今風に言うと空気を読まないタイプの女性でそれが長所でもあり短所でもありました。それでも海鮮巻きを買いにスーパーに寄れば、また偶然に会える機会もあるだろうと思っていました。ところがそれ以来彼女に会うことはありませんでした。またお目当ての海鮮巻きもいつの間にか姿を消したので、私にとってのささやかなオアシスは消滅したのです。

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