人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

片づけられない人の部屋

今週のお題「わたしの部屋」

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判断力の欠如のため、物が溜っていくのみ

 私の今住んでいる部屋のチャームポイントは?だなんて聞かれても、すぐには答えられない。まあ、以前は雑誌で見た部屋に憧れて、人並なみにインテリアに興味津々なときもあるにはあった。だが、生来のものぐさでめんどくさがりな性格が災いして、掃除ができない。部屋をお気に入りの物で埋めつくしたら、たちまちけものみちが出来上がった。新聞の新刊の広告を見れば、素晴らしい宣伝文句に舞い上がり、どうしても欲しくなる。そうなったら本屋に飛んで行って、買い求めて、自分の部屋でそれを眺めて安心してしまう。だが、そこからが問題で、嘘のように熱が冷めて、いつでも読めるのだから、また後にしよう?だなんて、節操がないにもほどがある。あの熱い気持ちは何だったのだろうか、ともう一人の自分が囁くが、気にもしないのである。いつも思う、本屋でその場で読んだ方が、よっぽど真剣に集中して読めるのではないかと。立って読んだら足が痛いとか、店員の視線が気になるだとか、いろいろな言い訳をして買って済ませている。

 部屋の隅にはうずたかくタワー状態になっている本の山がそびえている。近所にあるペンシル住宅ならぬ、強風が吹いたら、揺れてたゆたうようなタワーマンションのようだが、かろうじて持ちこたえている。一応、スチールの本棚もあるのだが、これはもう物置き場と化して、本来の本棚の役目をはたしていない。なぜそうなったかというと、その原因は根本的な問題で、つまり、部屋の主が片付けられない性分だからだ。それと大変残念なことに収納場所が皆無に等しいことだ。そのため要らない物、いや今のところは当分使う予定のない物を視界から遮って置く空間がない。とりあえず、一時避難の場所としてのスペースが存在しないことも一因なのだ。本音を言えば、忙しさを言い訳にして、縦の物を横にするのも面倒で、とっさに要るか、要らないかの判断ができないのだ。

 新聞の切り抜きなども、衝撃を受けたり、どうしても記憶に残しておきたい記事、後からもう一度読み返したい記事等はスクラップして置く。そうすると毎日のことなので、どうしても溜まりに溜まっていく。そして、ある日ふとある記事のことが頭をよぎり、気が付いたら、一生懸命捜していた。ここでもない、あそこでもないと何カ所かをひっくり返す。これでは後で片付けるのが大変だとわかっていても止まらない。物を捜すと言う行為は、一番時間を浪費する行為なのだと、誰かが言っていた。まさにその通りで、時間の無駄なのである。その不要な時間を少しでも減らすためにも片付けなくてならないのだが、悲しいことにそのレベルまで到達することは難しい。私などはお目当ての記事を捜している間に、よく道草をしてしまう。つまり、本来捜すべきものではない、別のものに出会って心動かされ、面白くなって夢中になってしまうのだ。

 あくまで理想の話なのだが、頭の中に引き出しが付いていて、それぞれジャンルの違う情報がいつでも取り出せるのなら、どんなにいいだろうか。まるでAIが内蔵されたロボットみたいな話だが、そんな世界は私のような平凡な人間には想像もつかない。ただ、もう少しわかりやすく工夫すれば、探しものをする時間は減らせるので、新聞の整理整頓に関する記事は熱心に読んで参考にする。おかげで、夜布団を敷いて眠るスペースだけは確保しようと、絶対に物を何も置かないと決めた。布団を敷かなくてもすぐ寝られるベッドは便利なようで、邪魔になることが多い。近所を歩いていたら、けっこうベッドを粗大ごみに出す人が多いことに気がついた。ゴミ処理券を数えてみたら、合計2千円だった。最近新聞で”お値段以上、ニトリ”のベッドの広告の記事を見た。なんと、ベッドのマットレスの中身を小さくして捨てられるように作られていた。中の詰め物はもちろん、スプリングも小さく解体できるので、燃えないゴミとして捨てられる。何か物を買う時は捨てる時のことを考えるのが当たり前と言いたいらしい。世の中は変わった、作り手が捨てる時のことまで考えてくれる時代になったのだ。

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