人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

サハラ砂漠で出会った賢い奴隷

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▲「サハラの歳月」のカバーの裏にある写真。サハラでは夏の昼間は50度、でも夜になると寒くて凍えてしまいそうなほど気温が下がってしまう。そんな過酷な砂漠のどこに著者サンマウは魅せられたのでしょうか。

消えることがなかった砂漠への熱い想い

 驚くべきことに、サンマウは台湾時代は中学の頃から7年間引きこもりだったそうだ。その間彼女を支えてくれたのは膨大な数の書物で、このサハラの経験を書く上での血となり肉となったことは想像に難くない。そんな生活の中で常に彼女の頭にあったのは「砂漠に行ってそこに住んでみたい」という強い思いだったのです。だから、アフリカ大陸に近いスペインに留学した理由がすごく理解できます。もっともなぜスペインなのかは言及していないのであくまで想像するしかないのですが。いずれにしろ、サハラにいつでも行ける場所にいたことは間違いなくて、スペイン人の夫の協力を得てついに夢をかなえたのです。

 そして彼女が「白馬」と呼ぶ車を手に入れたことから現地での行動範囲が拡がって人との出会いが生まれ、彼女の生活に彩りを与えてくれました。砂漠で車を運転していると、ときどきカタツムリのように何もない砂の上をさまよっている人、それも老人を見かけることがある。そんな時は迷うことなく乗せてあげる。人との出会いが嬉しいのだ、特によその国から来た人に出会うのはこの上ない喜びなのだ。

 サンマウは言う、『私たちは広大な土地で暮らしているけれど、精神的には非常に閉ざされていた。もし外から誰かがやってきて、彼らの賑やかな世界のことを話してくれたなら、どんなにか感動するだろう』。実際のところ、サハラにはテレビはあるが、たいして映らないのでサンマウはいつも本ばかり読んでいた。しかし、退屈する暇などここにはなかった、なぜなら隣近所の子供やら女たちが遠慮なしに押し寄せてくるのだから。

聾啞の奴隷に出会う

 社交的な彼女は友達に連れられてある富豪の家のパーティーに出かけた。そのときバーべキューの肉を焼いていたのはどう見てもまだ子供にしか見えない少年だった。その子がひとりでてんてこ舞いしている姿、肉を焼きながら、同時に客のところに運んでいる姿を見るに見かねたサンマウは手伝おうとする。さらに気の毒に思ってチップのような少額紙幣を渡して労おうとしたのだ。その翌日、家にその子の父親がやってきてお金を返そうとした。何度も断ったのに受け取ろうとしないが、その父親が聾啞だったのには驚いた。彼は身振り手振りで言いたいことを巧みに表現したのでサンマウはすぐに気づかされた。彼には隠すことができない知性のようなものが感じられたので、生まれながら聾啞ではないのは明らかだった。彼の奴隷という身分を考えたなら、どんな状況で聾啞になったのかを考えることは全く意味がないことだ。

 お金を無理やり押し付けて帰ってもらったら、その奴隷は翌日見るからに新鮮な白菜を持ってきてサンマウを感激させた。サハラでは与えるのみで誰一人としてお返しなどいうものをくれる人はいなかったからだ。彼はここでは死語と化している礼儀というものを知っている唯一の人間だった。「衣食足りて礼節を知る」と昔の人は言うけれど、食べる物にも困っているだろう奴隷にもちゃんと知性は備わっていたのだ。

 数日後、偶然にサンマウは彼と再会した。隣の大家の家の壁が壊れてしまったので、「最高の左官」と呼ばれる職人がやって来た。その左官職人があの聾啞の奴隷の彼だったのだ。焼けるような砂漠の暑さの中で仕事をする彼を心配するサンマウ、自分の家に招いて彼のことを知ろうとする。自分は奴隷で自由はないけれど、それでも「心だけは自由だ」と言って彼は笑った。その発言を聞いた途端、サンマウは雷に打たれたように驚いたのだ、この奴隷はなんて賢いのだろうと。彼が人間本来の本当の自由というものを知っていることに心底感動したのだった。

 奴隷の身の悲しさというのだろうか、その後彼は主人の命令で遠隔地へ行かされてしまった。家族と無理やり引き離され、連れていかれる光景をサンマウは何もできずに見ているだけだった。風に吹き飛ばされそうなテントでのささやかな家族の暮らしはもう戻っては来なかった。

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