人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

節約しなきゃ

日々囚われすぎると、苦しくなる

 考えてみると、以前は「節約しなきゃ」という意識にとらわれ過ぎていた気がする。あれやこれやと考えて、その時は節約出来たつもりでも、実際はたいして節約できていないのだった。毎日の、いや最近はなるべく回数を減らすようにはしているが、スーパーでの買い物の時にも「節約しなきゃ」は付いて回る。そうなると、キュウリを買うにも、バラで買った方がお得なのか、あるいは袋に3本入っている方を買った方がいいのか、そんな些細な?ことにない頭を使うことになる。はっきり言って、とんでもない時間の無駄である。日頃から時間がないとしょっちゅう嘆いているのに、こんな時はまた別らしく、全く自覚がなかった。

 そんなとき、新聞で「食料品で節約しようとすること自体が間違っているし、それにそんな些細な事ではたいして効果はない」とファイナンシャルプランナーの人が書いている記事を見つけた。そうか、10円、20円をケチって、なんだかんだと思案するのは得策ではないらしいと気が付いた。ではいったい何で節約するのがいいのだろうか、と思ったら、それは毎月の固定費だった。つまり、生活するのにどうしても必要な家賃とか保険料とか通信料とかの決まっている経費のことだ。それらを収入に見合った金額まで抑えることが必須で、そうすれば、食料品を買う時に「節約しなきゃ」の意識に脅かされることもない。日々、強迫観念のように忍び寄る「節約しなきゃ」の影の声に少々疲れてきていたのも確かだ。

 毎日「節約しなきゃ」の意識に支配されていると、生きがいのひとつであるささやかな楽しみさえも奪われてしまいそうだ。なので、「節約しなきゃ」から少し距離を置くことにした。この意識からなるべく気をそらして、考えないようにすることにした。自分で言うのもなんだが、私は日々何か楽しいことはないか、面白いことはないかと捜し回っているような人間で、すぐに感動して、すぐに忘れる何とも単純な性格である。つい先日もテレビで中国ドラマ『長安賢后伝』を見ていて、その合間にCMが入った。ジャパネットのCMで商品はイギリスの有名ブランドのトースターで、トーストが表面はサクサク、中はフア~っと美味しく焼けるとMCが声を大にして訴えていた。

 このトースターは従来の商品とは一線を画している優れ物なのだとの説明を聞いていたら、なんたることか、「欲しい」と一瞬思ってしまった。そうなるともう気持ちは止められず、手元にあったメモ帳にフリーダイヤルと商品番号を書き留めた。トーストなんて、いやパンなんてそうたいして好きでもないのに、それにパンを焼くときは魚を焼くグリルを使っている私が、なんともいい気持ちになってしまったのだから恐ろしい。要するに、CMのトースターを買ったら、今よりもずうっと幸せになれるという幻想を抱いてしまったのである。一瞬の儚い夢を見ただけのことで、それを証拠に私はすぐに正気に戻って、ため息をついたのだ。

 日々、こんな情けないことばかりやっているが、ちゃんと戒めにしていることはある。ファイナンシャルプランナーで節約評論家の丸山晴美さんの言葉に「めんどくさいは貧乏の始まり」というのがあって、よく考えてみると今流行りの「時短」とは対極にあるような気がする。以前読んだ篠田節子さんの小説に年収一千万円を稼ぐキャリアウーマンが出てくるが、実は彼女には貯金は全くない。なぜかと言うと、大好きなワインを飲むバカラのグラスも、シルクの下着も洗うのが面倒なので、汚れたものはすべて段ボール箱に詰めて押入れに追いやっていたからだ。何でも新しい物を買って使ったり、身に着けているので、お金がかかるのは当たり前だった。それでも彼女は「仕事が忙しいから、洗う暇がなくて」といいわけをするのだ。

 それから、お金を使わないための習慣として、心がけているのは、「何かよさそうなものはないかなあ」などとネットサーフィンをしないことだ。また、よくテレビ番組で紹介されている「あったらいいなあ」と思える商品を買わないようにしている。「あったらいいなあ」を突き詰めたら、物が増えるだけでなく、お金もキリがないような気がする。適当に不便でもいいかと思っている、元ミニマリストとしての意見だが。それと、用もないのに「いい事を探しに」コンビニに行かないのは言うまでもない。最近ではスーパーに行く回数も減らしている。なぜかと言うと、急に目標ができたおかげで、時間が足りなくなったせいだ。今までスーパーに行くのは”気分転換”のように感じていたが、それを節約したくなった。

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