人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

海の見える場所に住んでみたい

今週のお題「住みたい場所」

f:id:mikonacolon:20210703170437j:plain

地球の歩き方2018~19フランスから。

どこで働いてもいいなら、海の見える場所がいい

 最近はコロナが流行して、テレワークという働き方が普通になってきたようです。もう会社に行かなくてもいいので、朝のラッシュアワーという地獄から解放されました。今思うと「あれはいったい何だったのだろう?」と笑えてきてしまいます。それに会社に居たら顔を合わせずにはいられない、あの苦手な同僚にも会わずに一日を過ごせます。はっきり言って仕事のことだけ考えればいいのですから、ある意味楽になりました。少しの間、そんな解放感に浸っていたのですが、だんだんと息苦しくなりました。生活の中に無駄なこと、つまり遊びが無くなったからです。家から最寄りの駅まで歩いたり、電車の中で人々の様子を観察してみたり、無意識に気分転換をしていたことに気が付きました。お昼に新しく見つけた店に食べに行ったり、会社の帰りに同僚と飲みに行ったりするのも意味があることだったのです。あの日々を失った今だからこそわかることなのでした。

 自分の生活に何か変化が欲しくなりました。窮屈な日々に心が悲鳴をあげていたのです。「このままではどうにかなってしまう!どうしたらいいのだろう」と悶々としました。そんなある日同僚が田舎に引越すつもりでいる事を知りました。つまり仕事はどこに居てもできるのだから、今のような家賃が高くて狭い家に住む必要はないという考えからでした。そしたら自分もどこかへ行きたくなりました。「ここではないどこかへ」と言っても旅行ではなくて住むところを、腰を落ち着ける安住の場所を探すことにしました。実は彼には長年温めていた夢があったのです。それは、できることなら海が見える家に住んで、いつも海を眺めて一日を過ごすことでした。そんな生活に憧れていたのですが、今ならその夢を実現できるかもしれない、いいえ、彼が決断すれば夢ではなく現実になるのです。彼に迷いはありませんでした。現実に千葉の海岸沿いに移り住み、仕事に疲れたときは目の前にある海を眺める生活です。外を眺めたとき、隣の建物ではなく、目に映るものが蒼い海なのが何よりも最高なのです。彼にとっては海の水が透明でなくても、汚れていたとしても、海は海であることに変わりはありません。海という言葉が持つイメージが心地よいらしく、それは幻想に過ぎないのかもしれません。でも今のところ彼の幸せは続いていて、それについて他人がとやかく言うことでもないのです。

 実は私も何年か前、海辺で暮らす人を羨ましいと思ってしまったことがあります。その人は稀有な才能で異彩を放つ女流俳人で当時注目されていました。世の中には才能豊かな人が大勢いるので、普通は他人事で「ふ~ん」で終わりです。でも日課が「ニースの海岸を散歩すること」となると話は違います。学生時代に留学して今はニースに住み、気晴らしはあの高級保養地の海辺を散策だなんて、やはり嫉妬してしまいます。海に特別思い入れがあるわけでもなく、高級リゾートに憧れているわけでもないのに「いいなあ~」と思ってしまうのです。それはたぶん、誰にでも味わえる幸せではないからで、望んだとしても叶えらないことのように思えたからです。だからと言ってニースに住んで彼女と同じ経験をしたいのではなく、あくまでイメージから受ける感想です。それに海に関しては忘れられない思い出があるのでなおさらなのです。それは何十年も前の西表島の透明度抜群の海が私の頭の中でクラッシュバックしたせいかもしれません。あの時もすぐに「ここに住みたい」だなんて何も考えずに本気で思ってしまいました。どうやら西表島に一目惚れして、今まで見たこともない美しいものを見られたことに感激していたのです。海の中に宝石箱をひっくり返したとしか思えないサンゴ礁の息を呑む美しさ。でも一方では海岸を歩き回ったらごみの山のオンパレードに衝撃を受けました。この対照的な風景の明暗に複雑な思いでいっぱいになったのでした。

mikonacolon