人生は旅

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自費出版の夢をかなえる

今週のお題「100万円あったら」

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 誰だって自分の文章を世に出したいと思っていて

 もし、100万円を自由に使っていいのなら、自費出版という選択肢もあり得る、とふとそう思いました。それは全く私の頭の片隅にもなかったことなのですが、昨日の夕刊の記事を読んだら考えが一変したのです。日経新聞に連載中の岸本葉子さんのエッセイの『自費出版で還暦の幕開け』というタイトルを目にしたら、いったいどういうことなのかと戸惑ってしまいました。有名作家の岸本さんがどうして本を自費出版しなければならないのか、全く理解できなかったからです。これまでに180回以上も出版を経験してきた岸本さんなのだから、なにも自腹で本を出さなくてもいいのでは、というのが正直な感想でした。

 岸本さんはNHKの俳句番組の司会をしていた関係で、趣味で俳句を作っています。その俳句を書き留めている句帳も何冊か溜ってきているので、パソコンにまとめようと決心しました。その作業がひと段落ついたので、還暦を前にして思い切って自費出版に取り組んだのです。調べてみると、価格帯の幅が大きいことに驚かされました。数十万から百何十万までと一体なにがどう違うのか、すぐにはとても理解できませんでした。さらに自費出版の関連サイトを読んでみると、どうやら本を流通ルートに乗せるかどうかの差なのだと気が付いたのです。できるだけ人の目に触れさせることができれば、買ってもらえなくても、手に取ってパラパラとだけでも見てもらえる機会が与えられるのです。それに、今更言うまでもなく、自分の好きなように、誰にも文句を言われることなく作れるのが一番うれしいのです。

 元編集者だった岸本さんは、一冊の本が商業出版されるまでの過程を知っているだけに、自費出版はとても新鮮であまりの自由さに目から鱗でした。これまで本を出す際にはいくつものハードルがありました。出版社は読者層や本の作り、価格、部数が最適かなどを念頭に売るための戦略を練らなければならないのです。「会議を通るかしら、どうかしら」といつも悩ましい思いをするのが習慣となっていた岸本さん、それだからか自費出版の気楽さに仰天したのです。たぶん、本屋の店先に並んだら、興味を持った人が手に取り、それなりに売れるのかもしれません。とにかく、岸本さんにとって還暦記念の自費出版で思い出に残る経験だったのです。

 岸本さんでなくても、普通の人だって、ブログを書いたり、俳句や短歌、小説等を日頃から創作している人は誰だって「もしも本にできたら」と思っているはずです。では、そんな夢だと思っていたことを実現させたら、何か変化はあるのだろうかと漠然と思っていました。もちろん、自分なりに一時は達成感で溢れまくってしまうのは確かなのですが、その後はどうなのか、その先のことまでには考えが及びませんでした。以前朝日新聞の朝刊の「ひととき」欄に『写真集の楽しみ方』という投書が載りました。その投書の主は横浜市の80歳の牛田さんという女性の方でした。読んでみたら、冒頭の「自費出版した写真集がほとんど売れずに戻ってきた」との文句に衝撃を受けました。若い頃から取りためていた雲の写真を本にして10年前に出版したのですが、今更戻されても「どうしよう」と途方に暮れました。考えてもみてください、自分の元を巣立ったと思っていた子供たちが10年ぶりにまた舞い戻ってきた、そんな状況と似ています。

 懐かしいやら、悲しいやらの複雑な気持ちですが、手元に置いておく気にはなれません。でもこんな時普通はどうしたらいいのか、いいアイデアは見つかりません。そこで牛田さんは思い切った行動に出ました。それは、自分の写真集を図書館、銀行、病院、学校などの公共に場所においてもらおうと交渉することにしたのです。考えてみると、その他にも人の集まる場所には必ず何かの読み物が置いてあるので、気軽に手に取ってもらえる機会はたくさんあります。牛田さんはまず電話で面会の予約を取って、訪問しておお願いするという方法で交渉しました。断られることもありましたが、相手が熱意に負けて置いてもらえるという幸運にも恵まれました。その結果、何とか全部を捌くことができました。考えてみると、自分の写真集を自分で売り込むという気恥ずかしいことをしなければなりません。それでもやり遂げた牛田さんの勇気と熱意に脱帽するしかありません。

 そんな牛田さんの楽しみは散歩の途中に自分の写真集が置いてある場所に立ち寄ることです。好きな時にいつでも、図書館の棚から取り出して、自分の本を開いて眺める事ができます。そのひとときが牛田さんにとっての『写真集の楽しみ方』です。そして特筆すべきは、「もし本が売れていたらば、こういう楽しみは味わえなかった」と最後に付け加えていることです。まさに”災い転じて福となる”とでも言いたいようです。

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