人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

実家に電話をしたら

そこには、まるで老々介護のような日々があった

 パソコンに表示された今日の朝の気温はマイナス3℃で、散歩に行って帰ってきても身体は寒いままだ。昨日は私が住んでいる地域でも積雪が予想されたが、幸運なことに降らなかった。実は私は去年、新年早々に雪道で転倒したことから、雪が怖くなったのだ。なので、私は内心ほっと胸を撫でおろした。そう思ったら、実家のことが気になった。私の実家がある地域は、冬になるとよく雪が降り積もるが、日差しが出るとあっという間に溶けて消えてしまう。一度降ると、しつこくいつまでも残る都会の雪とは全く事情が違うのだ。

 実家に一人で住んでいる義姉のミチコさんに電話をした。ミチコさんによると、予想通り雪が数センチ降り積もったが、もう半分ぐらいは溶けてしまったと言う。記録的な寒さの最中にも、驚くべきことにエアコンも付けずに、ホットカーペットと犬一匹、猫二匹の自然暖房で何とかやっていた。「凄いね」と私が言うと、「エアコンって、思ったほど暖かくないから」と反論する。「やっぱり、あと10年、いや100歳くらいまで大丈夫じゃない」とからかうと「やめて、そんなに生きてどうするのよ」と意外なことを言う。でも、ミチコさんには楽しみがいっぱいあるはずだ。友だちとたまにランチに行ったり、大好きな演歌歌手の山川啓介のコンサートを見に行ったり、いちご狩りやブドウ狩り、カニ食べ放題などの日帰りバス旅行に参加したりと、楽しみは盛りだくさんにある。それなのに、なぜそんな弱気な発言をするのか。

 それはミチコさんが住んでいる地域が車なしでは身動きができない場所だからだ。コンビニもスーパーも病院も歩いて行ける距離にはない。もしも歩いて行ったとしたら、30分ではとても済まないだろう。それに歩いている人など皆無だし、自転車に乗っている人すら見かけない。世間では免許証返納を勧めているが、ミチコさんにとってはそれは死を意味する。つまり自由に動けないのだから、生きていても意味がないのだ。それにしても、社交的で明るい性格のミチコさんにしてはなんだか悲観的すぎる。「どうしたのだろう、いったい何があったのだろう」と違和感を感じていたら、その原因は実家の隣に住む高齢女性のせいだった。

 隣のおばさんがやたらと電話してきたり、しょっちゅうミチコさんの家に助けを求めて来るのだ。携帯電話の使い方がわからないだの、電話の仕方を忘れてしまっただのと、些細なことをあれやこれやとミチコさんに聞きに来る。人の良いミチコさんは時間もあるし、近所の人だから無下にもできないので、親身になって対応する。おばさんは少し認知症が入っているので、同じことを何度も聞く。それでもミチコさんは聞かれるたびに教えてあげる。正直言って、内心イラっとすることもあるが、「何度言ったらわかるの!?」などとはとても言えないのだ。

 だいたいがそんなことはミチコさんにわざわざ聞きに来なくていいのだが、家の人には相手にして貰えないから、聞くこともできないのだ。隣のおばさんの家は昔から会社を経営していて、工場も持っていて、家族皆で仕事をしていた。なので昼間はおばさん一人で家で過ごしている。週に三日はデイサービスに通っているが、それ以外の日は車に乗れないおばさんはどこにも出かけられない。つまり、中国の時代劇で言えば、”禁足”状態と言っても過言ではない。預金通帳を見ると羨ましいほどのお金があるにも関わらず、それを元手に楽しむこともできない、何とも理不尽な境遇にあるのだ。

 おばさんは話し相手が欲しいので、ミチコさんを食事に誘う。例えば、来週の31日の火曜日にとんかつの店に行きたいと言うので、電話で約束をしたとする。すると、すぐに「いつだっけ?」と電話がかかってくる。再度日にちを確認したのに、今度は家のチャイムを鳴らし、大きなカレンダーをもって駈け込んで来た。何事かと思ったら、「すぐに忘れてしまうので、カレンダーに書き込んで」とおばさんに言われる。さて、約束の日におばさんは自分の行きたい店の名前を忘れてしまって、思い出せない。「交差点の信号の隣にある店」としかわからないと言うので、ミチコさんは仕方がないので、自分が知っている店の駐車場に車を停めた。

 でもおばさんは「ここじゃない」と譲らないので、せっかく来たのに店に入るわけにはいかない。ミチコさんはどうしようかと思案しながら、辛抱強くおばさんの決断を待っていた。その時、幸運ことに、きっと何かひらめいたのか、おばさんは自分が行きたい店の名前を思い出した。ああ、よかった、これで一安心だとミチコさんはホッとしたのだった。

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