人生は旅

人生も旅もトラブルの連続、だからこそ‘’今‘’を大切にしたい

コロナ禍で年末の神社の風景に想う

f:id:mikonacolon:20201227115902j:plain

 早朝からの長蛇の列に驚く

 先週の月曜日、いつものように散歩をしていたら、何やら大勢の人がいるので何事かと驚きました。それで、すぐに気が付いたのです、彼らは神社のお札を貰うために朝早くから並んでいるのだと。そうか、もうそんな時期になったのだなあと改めて思いました。さぞかしご利益があるのか、昔は大型バスが何台も連なって道路に横付けされたいた光景も見られました。最近ではそうでもないのですが、まだまだ人気があるようです。それにしてもお札は夜の8時まで受け取れるのに、こんな朝早くから並ぶ必要があるのか、と言うのが第三者の正直な感想です。

 聞くところによると、お札は朝の5時から受け取れるそうなので、あんな行列ができているのかと納得しようとしました。でも、今はコロナ禍なのに、ソーシャルディスタンスなど全くない、まさに三密状態です。そんな光景を見てギョッとして、「みんな、どうしちゃったのですか?」と尋ねたい衝動にかられました。面と向かっては言えないので、もちろん心の中でだけですが。もう誰もが感じなくなっているのです、コロナウイルスに対して不感症になっているとしか思えません。テレビのニュースで感染者数が爆発的に増えているのを聞いていても、もう危機感というものが皆無なのです。ぞっとするような数の感染者数を耳にしても、それは自分とは無縁の世界の話で、数字だけが独り歩きしているのです。身に迫ってこないし、現実感が無く、自分事として考えられないのです。極論を言えば、自分が感染して、身をもって経験しない限りは難しいようなのです。

御利益を期待するのなら本末転倒では

 寒い中、お札のためにじっと待っているのですから退屈です。絶対にしゃべらずにはいられないでしょう。マスクを着けているとはいえ、あんなに密集している場所での会話はリスクがありすぎます。それを承知の上でみんなあの場にいるとしたら、御利益を期待しているのに本末転倒ではないか、などと傍目には思ってしまうのです。ふと近くにあるコーヒーのチェーン店を見ると、7時前なのにもう開いていてお客さんで賑わっています。普段はあまり人が入っていないので、この時とばかりと目論んで早朝から営業しているのは明らかです。それにお客さんの方もホッと一息つきたいのでしょう。小さなパン屋までもが人が集まるのを見越して、普段よりも早く店を開けているのです。いつの間にか、「一人づつお入りください、他の方は外でお待ちください」の張り紙が無くなっています。それに「電子マネーのみの販売」の但し書きも消えていました。

キャリーケースを引いている人が大勢いて

 先週歩いていて人目を引いたのは、キャリーケースを引いた人たち、朝の6時台から行動を起こしてどこへと考えたら、旅行か帰省のどちらかしかないのです。移動を控えるように言われたとしても、行く人は行くし、人それぞれその人なりの事情もあるのです。私の知人も政府が自粛を呼びかける中でも、どうしても帰省すると決めているひとりです。彼女に言わせると、「コロナに殺されなくても、自分がどうにかなってしまいそうだから移動して気分転換がしたい」そうなのです。

 彼女の事情は次のようなものです。夫が定年になって正社員からバイトになった。仕事からいつも6時には帰って来る。今までと違って物足りなくてやりがいが無いらしい。晩酌の時には必ず愚痴を言う。正直言って、もう聞きたくないと思う。我が儘かもしれないが、少しの間夫から離れたい。だから田舎に行ってのんびりしたい。また戻らなければならないが、それでまた頑張れるのだと言いたいのです。それを聞いたら、行かないほうがいいだなんて、とても思えなくなったのです。彼女を止める権利など私にはないのですから。

mikonacolon